長くなりますが、堀 紘一氏のことば、
その通りに思うので、下記に引用します。
私なりにまとめると、
教えるのは,考えること、
一緒に考えること。
未熟な意見のなかから、可能性を見出す、
アウトプットさせるために結晶化させて示してあげること。
問題をどう問題として取り上げるかの難しさなど、
常に現場が最先端であり、過去にとらわれず、
そこで共に考え、創造し合うこと。
私の経験では,1990年頃までの方が、
一部ですが、日本人には、若くとも、
深く捉えられる人がそれなりにいたように思います。
<ちなみに私が学んだハーバード大学は、日本の大学教育とは全く違う。そこでは「考えること」を教えてくれるのだ。先生が課題となるテーマを最初に学生に話す。それについてどう考えるか、学生たちが自由に意見を出すのだ。
生徒の話は9割方つまらない意見が多いのだが、その中の1割ぐらいに、キラリと輝く意見がある。先生が、最後にそのキラリと輝く1割の意見を拾ってきて、ブラッシュアップして本質的な珠玉のような言葉にしてまとめるのだ。
学生の言葉は素朴で稚拙だが、教授がそれを見事に論理化し、一つの真理として提示する。英語でcrystallize(結晶化)というのだけど、日本語の概念にはない言葉かもしれない。
また、ハーバードでは「面会制度」がある。学生が教授に面会を希望すると、2週間以内に最低10分間は面会しなければならない決まりになっている。こんなのはまず日本の大学では見られない。>
<「教える」のではなく、一緒に「考える」
あるとき、私はその面会で教授に
「この間の授業ですが、私はいったい何が問題だったのかがわかりませんでした。だから答えもわからなかった」
と言うと、
「キミは最高の学習をしたね」
と言う。
「じつは私もあの件に関しては、何が問題なのかわからない。問題が規定されないのに、答えが出てくるわけがない。キミはその真理を学んだんだ」と。
ふざけたことを言う教授だと思ったけれど、あれから何十年かして私はすごいことを教わったと実感している。
いずれにしても、「教える」のではなく、一緒に「考える」のが大学の授業のスタイルなのだ。
話は少し脱線したけれど、オリジナリティもクリエイティビティもないコンサルタントほど、自分が勉強したことを金科玉条的に掲げて、上から目線で教えてやるという姿勢に陥りがちだ。
このような“教師型コンサルタント”を完全否定するつもりはない。知識ももちろん必要だから、企業が社員教育的な意味でそのようなコンサルタントを望むのであれば、それもありだろう。
ただし、このようなタイプのコンサルタントの中には、前述した特徴①のように、自分の知識の範囲だけに捉われ、誤った分析から企業をミスリードしてしまう危険性が高い人も少なくない。十分注意しなければならない。
堀 紘一氏 経営コンサルタント10/3プレジデントオンライン>