fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

「終わった人」で、終わらない 今日が若い

内館牧子氏の「終わった人」は、映画化は2018年。

そのなかで、まったく心の入らない常套句というのが出てきます。

「お仕事がんばってください」

「応援よろしくお願いします」

です。よく使っていますよね。

私もよく言われています。でも、この歳になると、慣れっこで、

「また、今度飲みにいきましょう」などの

あいさつ言葉と同じと思っているので、気になりません。

あえてアドバイスするなら、言葉より、表情、身振り、声の調子に

注意しましょうと言うことでしょうか。

 

一方、身に沁みた言葉は、

「思い出と戦っても勝てない」

そして、引用されている盛岡生まれの明治の俳人

下山逸蒼(しもやま いっそう)のことば2つ、

「完全な肉体の所有者でも、死んで埋められてしまえば一切平等、唯ホンノ一寸の間、悠久な宇宙に対比しての不自由や苦痛に過ぎぬ」

「もしこの大患が来なかったら、生命を掴むこともできず、真の生活に入ることも出来ずに、落ちていったのではないか」

 

病や死に対面したとき、人は、どう対処するのでしょう。

老は、それを少しずつ、自覚させていくプロセスなのでしょうか。

 

過去を振り返るのも未来のためです。

自分の人生では、

今日がこれまでで、もっとも年老いており、

今日がこれからで、もっとも若いのです。

もちろん、後者で考えましょう。

 

言論の自由と民主化の原理 衆院選公示

衆院選が公示され、1051人が立候補しました。人数は、小選挙区比例代表並立制以降の25年で最少、20〜 30代は10%に達していません。女性も20%以下、70歳以上がこれまでで最多。日本の政治は、多様化にも若返りにも逆行しているのです。

各党の政策を見ても、受け狙いの分配策ばかり、どう成長させるのか収益を上げるのかが、財源が示されません。高齢者向け政策なのです。つまりは、選挙前からお先真っ暗と言うことです。

お金をばらまくだけなら政治家など要りません。彼らの報酬や経費をばらまいた方が有効です。ばらまきは、既に評判のよいところをさらに儲けさせるだけで、最も必要な弱者は救われないのです。また10万円が配られたところでどうなるものでしょうか。政治家や大富豪の金でなく、私たちの金ですから、将来の私たちの負担が増えるだけです。震災の負担を今も分担させられてますが、この2年の負担は、どうするのでしょうか。今の若者の将来につけるとは誰も言わない。国民も舐められたもの、というか、政治家の志も落ちたものです。

若い人も立候補しろとまでは言いませんが、選挙には行き、少しでも、日本が食い潰されてしまうのを防いだほうがいいとしか言いようがありません。自分が立候補しなくても、自分たちにとって必要だと思う人を見つけ、サポートすること、頑張ってください。

このままでは、最悪の民主主義国家となってしまいかねません。

 

自由について語ります。

本当のことをいうと、言論の自由などといっても、

本当の自由などは、どこにもはありません。

もし、あったとしたら、自分が自由に考えて、自由に判断して、自由に言った

などと、自分で思っているだけです。

だからといって、自由に言ったり、自由に振る舞ってもよいことにはならないわけです。

 

言論もまた、公である共同体にとってよいのかどうかで、

考えるべきものになりますから、

個人の好き嫌いや損得で、自由に言っても、それは言論になり得ません。

 

自由に言うことがよいのでも、自分にとってよいものを

言えばよいのでも、ないからです。

 

民主制を元とするコミュニティで生きていくのであれば

それは、「~に関わらず~する」ということです。

私個人としては反対でも、つまり、わたしには自由でないとしても、

私たちの決定したことは受け入れる、つまり、不自由に甘んじるということです。

 

日本の庶民文化と平等観念

NHKのど自慢は1946年1月から、

歌会始で歌の募集は1947年から、始まり、今に至っています。

日本人は、宴会の歌、歌声喫茶、カラオケのほかに、

次のようなものを楽しんでいました。

和歌、俳句、川柳、落語、講談、浪曲、詩吟、能、狂言など、

これらは、日本の庶民文化です。

 

かつて、日本は、国際連盟での人種平等案採択の主張をしましたが、受け入れられませんでした。第二次大戦前、アフリカの有色人種の独立国はエチオピアだけで、アジアでは10カ国しかありませんでした。

 

移民した人々が築いた国家では、人それぞれに考えの根拠とする事実が異なります。そうした多様性をもつために、理屈によって、統一しています。つまるところ、理性的、論理的といえます。

それに対して、日本では、定住して長くなるうちに、同一性が高くなります。感性的、感情的で、理論、論理などには、かなり無防備です。理屈っぽいのは,嫌われます。

また、八百万の神をはじめとして、森羅万象、あらゆるものを供養する心があります。菌塚などもあり、コロナも時代が違ったら信仰の対象になったかもしれません。

海外に対して、日本人は、自分の顔や体への劣等観や日本語へのコンプレックスが、根強くありました。海外と言うより、欧米に対してですが。今の若い人は、そうした劣等感に悩むことがなくなり、彼らとタメで付き合ってるようです。ブランドものに対してはともかく、昔ほど、欧米以外の人たちに対してもを対等に付き合ってるようです。日本を愛し、日本人に誇りを持っているようで、とても頼もしくもあります。

だからこそ、ここに至った歴史やいきさつを、学んでよく知っておく必要があります。

相手を持ち上げることばと懐かしの死語

相手を持ち上げて、楽しくするには、どのようにすればよいでしょう。

具体的には、次のようなことに留意しましょう。

・あいさつに笑顔とちょっとしたほめことばを加える

・相手のことばをそのままくり返して、ちょっと質問する

・さらに、ーより、―すぎ、まさに、まじ、ほんに、すげ、超、など、

 比較級のような言葉で持ち上げましょう。

・相手を立て、自分を下げます。あこがれ、リスペクトを示します

・笑いのネタなどは、皮肉にとられないようにカバーしましょう

・レベル高いですね、と、レベチで突きましょう

懐かしの常套句や方言を使ってもよいでしょう。

ただし、次のような昭和の死語は避けましょう。

冗談はよし子さん/余裕のよっちゃん/よっこいしょういち/

合点招致の助/あたりきしゃかりき/フィーバー/マンモスうれP

あたり前田のクラッカー/許してちょんまげ/ヒッジョーにキビシー

ネットの訴訟と罪名 偏向と信仰

ツイッターでは、文字数制限されているために短文が行きかいます。

それで誰もが気安く参加でき、普及しました。

そこは短絡的思考と結論だけが拡散する世界がつくられます。

チェックがなく一方的に偏向してしまうからです。だから

他人のことに関しない独り言やつぶやきなら

気楽に使えるメディアなのです。しかし、人が口にしたいのは、

自分のことよりも他人の事がほとんどなわけです。

 

ときに、正義の名のもとにレッテルを貼り、罵詈雑言の応酬が見られます。

正義をかざして、ちょっといい人に下克上気分のような人が多いのでしょうか。

そういうのを眺めていると、君子危うきに近寄らず、と言うよりも、

朱に交われば赤くなる、をさけるといった感じになります。

 

私は、そういったことで正義漢ぶったりストレスを発散したいとは思わないので、

SNSでの悪口を発信したことはありません。

と言うのは発散した分、戻ってくると、天に唾すると思うし、

思ったことを何でも口にすればいいというものではないのでしょう。

もちろん、こうして文章で表現する以上、誰かを傷つけたり、悪口だと思われたり、気分を害したりさせている可能性はあるでしょう。表現する以上は、諸刃の剣は覚悟せざるをえないわけです。

 

社会の正しさに合わせる人の、そうでない人への不寛容が高まっています。

他人の非を裁断して罰する風潮がはびこるようになりつつあります。

我慢やルールの押し付けを、上からでなく、横のつながりで、

ちょっと下になったつもりで、ちょっと上から行っているのです。

 

こういうネット社会は、やがて一貫した虚構の世界を築くでしょう。

ポピュリズムの行きつく先、カリスマへの信仰が増し、

その断言する力、1フレーズが、最大の影響をもたらしかねません。

 

そういった中で自殺した木村花さんの件で、2人が侮辱罪に問われました。

名誉棄損とは「社会的評価を低下させる表現行為」ですが、

肝心なのは、「その事実の有無に関わらず」ということです。

正しければ何を言ってもよいわけではないのです。

これは、「公然と事実を適示」した場合に適用されます。

評価のように、事実を適示していない場合が、侮辱罪です。

営業権侵害や業務妨害となることもあります。

「プライバシー侵害」や「肖像権」についても、

知っておきましょう。

 

法改正で公訴時効までの期間が1年から3年に延び、1年以下の懲役・禁錮か30万円以下の罰金を科すこともできるようになります。悪質な書き込みをある程度、抑止する効果にはなりそうです。
ネット空間は、自由に意見を発信できる場であることが望ましいわけです。警察が摘発する場合、表現の自由に配慮することとの兼ね合いになりますが、フェアに扱われることの難しさを感じます。

 

報道ジャーナリストと映画「MINAMATAーミナマタ」(2)

映画「MINAMATAーミナマタ」について、事実関連を追加します。若干、ネタバレになりますが、これを知ってから見ても面白いと思います。

 

 
チッソの社長が現金を賄賂として渡そうとして断られる場面や、公の場でのチッソ社長の人間味が漏れるような表情などは、実際にはなかったでしょう。小屋が全焼することも。ましてユージンが変装して病院に潜入、書類を写すのは、やりすぎ。ここで猫の映像となると、ユージンが証拠を見つけたように世界中の人たちは誤解してしまうでしょう。
時系列でみると、ユージンが日本に行ったときには、すでに厚生省が公に公害と認定しているわけです。また、最高作品を撮った時点と事件などの前後関係も違います。
ドラマとして盛り上げるために、そのような構成にしたのはよくわかります。アメリカの映画らしい所以です。
一方で、沖縄戦の日本軍の砲撃で大怪我をさせられたユージンが、今度はチッソの社員に大怪我させられるのは、事実です。よくぞ日本人を恨まないでくれたものです。
 
などと考えると、この作品は、史実に基づくのではなく、史実を元にして着想を得た、というクレジットが適切かと。(映画監督や演出家、脚本家を目指す人は、事実からどのようにして作品に組み立てるのかを、学ぶのにはよい材料かもしれません。)
 
 なぜなら、すでに過去の事として片付いたことならともかく、水俣病に関しては現在も続いていることです。この映画自体ドキュメンタリー的に、現在の環境問題にまでつなげようとしているからなおさら、その区別をどこかで明記しなくては、と思います。
ただ、このような作品が世界的な映画スターによってつくられ、配給されることはありがたいことです。

 

9月17日、発売の「週刊金曜日」特集記事の
取材協力にスタジオ提供と照明ADしました。



褒め言葉とだめ言葉 使わない方がよい言葉

褒め言葉の、「さしすせそ」は、すっかりなじみの言葉となりました。

言い換えなどでも、よく使われます。

女性はよく知っているようですし、男性はそういう言葉に弱いとなっています。念のため復習しておききましょう。

「さすが、知らなかった、すごい、センスいいですね、そうなんですか」

 

だめな言葉の、「たちつてと」も、あります。

「たいしたことないね、違うんじゃない、つまんないね、適当でいいんじゃない、とんでもないです」

言葉は大切ですが、本当は表情や声の調子の方が、ずっと大きな影響を及ぼすものです。

「すごい」は、「すごーい」ですね。

私の経験では、「すごい」は「〇〇なのに、すごい」ともなりかねないので、

そういうときは、「おもしろい」と言うほうがよいでしょう。

 

使わないほうがいい言葉としては、

「怒るな、ムキになるな、ノリが悪いぞ、私はそう思わない、わかりません、」

私は私なのだとは思わず、他人も自分も尊重しましょう。

 

日本の消費者と低迷と岸田政権

消費者としては、どうしても目の前の損得が、生活での中心となります。

日本の主婦の感覚は、1円にシビアであって、本当に日本人らしいと思うのです。

倹約、清貧の精神が、今でも染みついています。美徳でもあります。

生活への補助金が出ても、使わず、貯蓄する人が多いので、経済が、クーポンとかでないと回りません。

そういったこともあり、物価や賃金などもさほど上がらないしあげられない。2パーセント目標の経済成長にもブレーキがかかるのです。規制緩和なども、国民性に合わないのでしょう。

しかし、年収も貯蓄率なども下がり、世界の経済の伸びから相対的に落ちこぼれ、知らずと敗者になっています。他の国が成長して日本が停滞というのは、他の国を日本のように同じ暮らしを持続しているとすると、日本だけ下降し続けているわけです。これが、失われた30年ですが、、これも、失われた10年、失われた20年、とそのまま、数えてきたのです。あとは、失われた40年?50年?戦後、築いた山から谷底まで降りきってしまうのでしょうか。物価も上がりだし、生活苦ともなりつつあります、。

 

岸田首相の所信表明演説には、これまでの首相たちの掲げてきたような規制改革への言及がありません。これが、新自由主義からの脱却ということなのでしょうか。

新しい資本主義というのは、最近の反資本主義みたいな動きに乗せたのでしょうか。何を成長させ、どこから分配なのでしょうか。もう当てにせずに、自ら考え、対策していくことです。

報道ジャーナリストと映画「MINAMATAーミナマタ」

ノーベル平和賞で、ジャーナリスト2名が選ばれました。これは報道の自由が脅かされていることの裏返しです。権力の乱用から戦争の危機にまで関わります。

 

ジャーナリスト保護委員会によると、昨年末で投獄されているジャーナリストは世界全体で274人で最多、国境なき記者団のデータでは、今年28名は殺害、460人が投獄です。

 

日本は、報道の自由度ランキングでは67位で、G7の中では最下位です。あいかわらずの記者クラブ、どさくさでの特定機密保護法、ジャーナリスト精神とは無縁となりゆく記者たち。

このランキングの上位3つは北欧です。フランス34位、韓国42位、アメリカ44位です。受賞者2名の国のフィリピンは138位、ロシアが150位、その下に、サウジアラビア、イラン、中国、北朝鮮などが続きます。

フィリピンの受賞者のマリア・レッサ氏は「事実のない世界と言うのは真実と信用のない世界です。私たちは事実を追い求める闘いを続けていきます」と述べました。



映画館で「MINAMATAーミナマタ」を観ました。観客が思ったほど多くなく、年配の人ばかりでした。日本人こそ見るべき映画だし、若い人ほどを見なくてはならないものです。ドキュメンタリーほど重くはなく、よくできた作品ですから、ぜひ。

映画は、アメリカの報道写真家、ユージン・スミスが、1971年から3年間、妻アイリーンさんと水俣市に住み、患者や家族、チッソへの抗議運動を世界に伝えた実話に基づきます。彼は第2次世界大戦でサイパンや沖縄などを取材しました。 沖縄戦で全身負傷しました。

1975年、写真集「MINAMATA」を出版。(今年9月復刊)その冒頭には

ー過去の誤りをもって未来に絶望しない人々に捧げるー。

 

かつて、この写真集を手にとったと記憶しています。マン・レイロバート・キャパ沢田教一土門拳など、時間を忘れて見入ったなかでの、水俣でした。1980年日本語版が出たのが、ちょうど青山ブックセンターが六本木にできたときでしたので。

 

映画のエンドロールでは、私がカウントしたところ世界での22の環境問題、公害が紹介されています。東日本大震災原発被害も入っていました。そして、当の水俣さえ、問題はまだ解決していないのです。今、なぜ水俣であり、それがアメリカ(現場はセルビアモンテネグロとか)で撮られ、日本で観て、教えられなくてはならないのかと言うことです。

 

作品は、アメリカの映画らしく仕上がっています。どんなものであれ、まずは入り口、アクセスができることが大切です。そうでないと忘れられてしまいかねないからです。そこから関心を持って、ドキュメンタリーの映画や番組、書物などで深めていくとよいと思います。(日本の4大公害についても調べましょう。)

石牟礼道子の小説「苦海浄土」は、水俣病を患った人と家族の苦しみを描いたもの。

ドキュメンタリー映画としては、「水俣 患者さんとその世界」1971 完全版。1973。

水俣一揆一生を問う人々」1973など。

そして、原一男監督の「水俣曼荼羅」が、今秋公開、なんと372分。

 

10月3日NHKで「目撃!にっぽん 終わらないMINAMATA」が放映。

主演のジョニー・デップ水俣病のことを学べば学ぶほど、伝えるべき出来事だと分かり、自分たちにその責任があると感じた。映画をきっかけに、この問題が語り継がれることが大事だと思う」「世界中で人が使い捨てにされ、命が軽んじられていて、こうした不正義が何世代にもわたって続いていくことが問題だ。まず映画を見ることから始めて、さらに自分の目と耳でさまざまな問題を学んでいってほしい」

アンドリュー・レヴィタス監督「世界中で水俣病と同じようなことが起きていて、いまも誰かが被害を受けていると気づいてほしい。私は関係ないと目を背けることは簡単だが、被害を受ける“誰か”が、自分や、愛する人だったかもしれないと伝えたかった」「誰もが平等に生きる権利があり、みなで手を携えれば状況を変える力があると、映画を通して勇気を与えたいと思った」

当時アシスタントを務めていた写真家、石川武志さんは、ユージンが「写真で病気は直せないが、メッセージを出すことで、誰かが動いてくれる」と話していたと。

石川さんの写真展「MINAMATAーユージンスミスへのオマージュ」新宿リコーイメージングスクエア東京で10月25日まで。

 

水俣病は、5月で公式確認から65年、全面的な解決が見通せない状況。これまでに水俣病と認定された患者は、7月末で、2999人。対象になった人は、5万人。1500人が患者の認定の審査結果を待ちです。裁判でも、1800人が国やチッソなどに損害賠償などを求めています。被害の全容もいまだ明らかになっていません。12年前に成立した被害者救済の特別措置法では、国が水俣湾周辺の住民の健康調査を決定。環境省は、検査方法を来年秋、確立させると、患者団体などは早期実施を繰り返し求めています。

 

映画と関係する事実関係

1971年12月 智子の入浴撮影

1972年1月7日 暴行事件、チッソ社員による

1973年3月20日 熊本地裁判決

1978年10月15日 ユージン・スミス死去、享年59歳

現在、アイリーンさん71歳。31歳違いで日本で1971年8月結婚、4年後離婚。

















 

鑑賞と正義と表現 モニタリング

ニンゲン観察バラエティー「モニタリング」の番組は、以前、小林幸子天童よしみなどで、プロの歌はいかに違うかを取り上げました。ここのところでは、石井竜也さんや華原明美さんが出ています。X JAPANのToshi さんは、全体的な構成からメリハリの付け方、伝えたいことを声に表して最大限の効果で伝える術を持っています。それは、この番組の方がわかりやすい、説明しやすいのです。

自分のヒット曲よりも、他人のヒット曲を歌うことによって、その人の本質、味、個性、才能、強みがわかることがよくあります。カラオケの番組や芸人の歌番組などもあり、俳優や芸人の歌唱力もそれなりに高度なものですが、1曲の中で感動させ泣かせ、1つのドラマを作ってしまう一流の歌い手の力は、全く別次元のものです。

その人の個性がどのように、音楽、歌、曲やメロディーを通じて現れていくか、こんな面白い事はありません。出来上がりすぎた歌い手はつまらないものですが、全盛を極めた後の歌い手が、頼るところはプロとしての表現の本質、絶好調のときには隠れていた感覚が出てきます。つまり最低限の武器を最大に使うということで、とても歌の表現が成立するエッセンスがわかりやすいのです。ファンでなくても、とても感動させる歌になることがあるのです。皆さんも楽しんで観てください。

 

 

鑑賞することは、自分なりに解釈して

意味づけて、自分なりにつくり直すことです。

他の人の見方を得て、他の人にもなれるし、

他の人のを見て、自分を知ることもできるのです。

 

正しい側に立つことのカタルシスを抑え、

正しさに収まらない存在をいつも想像しましょう。

 

自らを出すことのカタルシスを抑え、

相対化する力をもつことが、重要です。

自己批判を忘れず、その批判の上に、

自己を超えるものを

示しましょう。