◯議論
欧米での会議は、基調演説があり、その後、セッションに分かれて議論を戦わせます。その議論をもとにもう一度、全体の会議を行って、まとめて終わります。
日本では、一同に会したら、出席者がそれぞれの立場から一方的に演説して、大体それで終わりです。
日本人は、民主主義を唱えながら、どう考えても民主主義ではないのです。
仲間で組織を作り、議論が対立すると、そこで分派して争っていくわけです。
日本の学生運動がその代表的なものでした。とにかく集まって、一方的なスピーチやアジテートで終わります。デモをやっても、議論がほとんどないのです。そこでは、日本の社会も世界も見えていないのです。その体質が彼らが第一線から退いた今も、その忠実な継承者たちによって受け継がれているのです。
◯思想の源流
ニュースでわかったつもりになっても仕方がありません。
何事も、自分個人の問題として、それを社会の一員の問題として、つなげて捉え直さなければならないのです。
そのときには、いろんな思想の源流や歴史を見ていかなくてはなりません。
文化や芸術、思想の体系があって、その上に生きているのですから、それを土台に組み立てていくのです。
そういうことは、やってみないと、想像つかないでしょう。
できるだけ早く、世界を見てまわったほうがよいでしょう。歴史やそれを担った人々と触れる機会を持ちましょう。そうすると、どんなものも、多面的なこと、そして、土着的なものであることに気づいていきます。
◯社会参加
自分の先祖から体験してきた、それぞれの個人的な歴史を掘り下げましょう。そうした歴史を持った上で、社会に参加してこそ、世の中に働きかけることになるのです。
抽象的な理論をどんなにやりとりしてもしょうもないのです。私もいろいろと誘われますが、議論だけを楽しむ場でそういうことをやりとりするつもりはないのです。
まずは活動、個人的な関係、位置づけがある上で、行動に結びつけるところで、意味があり、現実が変わると思うからです。自分が動けないところは、それに関係する人を参加させたらよいのです。それは、自分自身の活動のヒントにも刺激にもなります。深く掘るために広さも必要なのですね。