fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

レッテルと差別 人種とジェンダー

大谷翔平選手が動き出しました。また活躍を期待したいですね。

彼は、昨年、「宇宙人」のように言われましたが、それは「怪物」などと同じく、リスペクトの例えです。松井秀喜選手の「ゴジラ」などは、やや微妙なところもありましたが、、。

 

〇レッテル貼り

相手とわかりあえないときに、「あいつは◯◯だから」「どうせ〇〇が違うのだから」と割り切ってしまうと、わかりあう努力を投げ出すことになります。

世代が違う、人種が違う、性別が違うと、自分を納得させてばかりいると、ときに差別の温床になりかねません。

相手を異人、異物、異教徒、エイリアンなどのように、レッテルを貼るのも、考えものです。自分と違うのは当然なのに、そこで線を引くと、自分の世界も狭くなるでしょう。

 

〇人種差別

人種というのは、もはや、差別の様式となりました。

西洋人にとっての東洋は、かつての男性にとっての女性のようなものでした。「日本はアメリカの妾」などというのを、日本人は自虐的に使っていました。性別もかつては、差別そのものだったのです。

男女同権を唱えつつ、娼婦を買う人には、細君と娼婦は、人種が違ったのです。男女が逆のケースもありますし、生殖と快楽との分離を単純に差別とは断定できるものではありませんが。

しかし、人種とは、白人がカラードを排除するために設けた区分けであり、そのまま差別でしかないのです。

身分制度は、もちろん差別です。「上流階級」の代わりなのか、先頃、「上流国民」というのが言われ出しました。これは、そうでない人が揶揄して使うので、差別ではないようです。

 

〇恋とは

葉隠」に「男心に男が惚れた」とあります。恋とは、元は男性同士の情を指すものだったそうです。

江戸の遊郭では、本気で遊女にはまるのをは、野暮、お約束と虚構の世界と割り切って遊ぶのが、通でした。

 

ジェンダー問題

男になり損なった男と女を排除するのが、ジェンダー問題という人もいます。

戦前の嫁は、家柄と財産、子を産む能力、家事能力が求められました。 所有を求めるか関係を求めるかで、男女の違いを説いた人もいました。

 日本の国籍法では、なんと1985年まで女性が外国人の男性と結婚しても、その子供の日本国籍を認めてきませんでした。

今、そうした差別は、ようやくなくなり始めてきたところではないでしょうか。

 

ジェンダーは多様に使われているので、文中の意味だけではありません。

昭和の頃は、ホモ、オカマなど、いや、身体障害者など、ひどい差別がありました。特殊学級とか。こうした用語自体も問題となりました。

今も根強い偏見や差別は、いろいろあり、ヘイトスピーチヘイト本ヘイトクライムにつながっています。

これら差別用語の扱いや言葉狩りなどは、簡単に論じられないものなので、問題提起に留めます。

ここでは、安易に人にレッテルを貼ること、まして、そのレッテルで人を判断するのをやめましょう、ということです。