◯時流、時代へのスタンス
さて、男女の差ではなく、その違いが、どうも人権の名のもと、あいまいにされていくことの是非は、問われていかないのでしょうか。
変革期に行きすぎるのはよくあることですが、このところ、やや度を過ぎてきているように思います。
また、過去のことを、現在のその行き過ぎの風潮で、感情で断罪するのも、どうなのでしょうか。
アメリカなどでは、一方的に強引に進めていく動きがあると、それに対抗、反対する動きが出てきます。そこで喧々諤々、議論や闘争が起きます。
ジェンダー、人権擁護に対し、キャンセルカルチャーなど、も、その動きの一つですね。
日本は、大きな動きに、ほとんどの人は、沈黙を強いられます。いや、自ら黙ります。
日米が、スーパーコンピュータで競っていたとき、
アメリカの西海岸では、パソコンが次の時代に向けてスタートしていました。
日本は、官民あげての一点集中で、取り返しのつかない遅れをとりました。
金融政策についても、同じです。
時流に乗ろうとするあまり、他のこと、常識的なこと、過去のこと、未来のことなど、
見えなくなるのが、日本人の国民性のようです。