ここのところまでの流れに加えておきます。
◯大吉原展 の案内文
<江戸の吉原は、約250年続いた幕府公認の遊廓でした。遊廓は、前借金の返済にしばられ自由意志でやめることのできない遊女たちの犠牲の上に成り立っていた、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。
一方で、江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもありました。
3月にだけ桜を植えて花見を楽しむ仲之町の桜や、
遊女の供養に細工を凝らした盆燈籠を飾る7月の玉菊燈籠、
吉原芸者が屋外で芸を披露する8月の俄(にわか)など、
季節ごとに町をあげて催事を行い、
贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界。
そこでは、書や和歌俳諧、着物や諸道具の工芸、書籍の出版、舞踊、音曲、生け花、茶の湯などが盛んでした。
そうした吉原の様子は多くの浮世絵師たちによって描かれ、
蔦屋重三郎らの出版人、大田南畝ら文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
また、年中行事は江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人々も吉原を訪れました。
本展に、吉原の制度を容認する意図はありません。国内外から吉原に関する美術作品を集め、その一つひとつを丁寧に検証しつつ、江戸時代の吉原の美術と文化を再考する機会として開催します。
前期展示は 4/21(日)まで(東京藝術大学大学美術館 3月26日~5月19日)>
まあ、芸大で展示することも画期的です。
TSUTAYAの着想元も出ていますね。
<初の本格写真集「紅子の色街探訪記」を昨年出版した、元ソープ嬢で色街写真家の紅子さんが、写真展「『現代を生きる吉原展』~遊廓の歴史は形を変えて現代も続いてる~」を東京・千束のカストリ書房で開催する。4/28〜5/6>
◯障害者ネタと差別
<インたけさんは、吃音をもつ、たどたどしい口調で失敗談や自虐ネタを披露する。「他人の吃音をからかうのではなく、吃音をもつ自分を笑いの対象にしています」と。
放映番組の騒動について、TBSは毎日新聞の取材に対し「吃音、あるいは吃音当事者をからかう意図は全くない」と説明、「番組制作において、発話障害を理由に出演の可否を判断することは一切ない」とした。
お笑い評論家の西条昇・江戸川大教授は、
「ドッキリという企画の性質上、どうしてもだまされた人の反応をからかい、楽しむ内容になりがちです」と指摘。
「ドッキリ中に症状が出たことで、吃音が周りからからかわれている、ばかにされていると感じる人がいたのでしょう」と。
「R―1ぐらんぷり」で2018年に優勝した視覚障害のある漫談家の濱田祐太郎さんなど、自分の障害を芸に取り入れて活動する人が増えつつある。
西条教授は、共感されるのは「自身の障害を受け入れ、その上で芸のネタにするという『強さ』や『潔さ』が感じられるからです」という。
「コンテンツが『笑い』として受け入れられるためには、作り手と受け手の共通理解が不可欠」と強調。
「障害が原因で、表現活動の幅が狭まることは望ましくありません」
「制作側が十分に障害の特性を理解し、出演者とともに納得のいくコンテンツをつくることが必要です」
(毎日新聞とYahoo!ニュース 編纂)>
そういえば、こんな番組を思い出しました。
<宮崎駿がドワンゴ川上会長のプレゼンを一刀両断する一幕があった。川上量生が持参した「AIが作る“気持ちの悪い動き”」の動画を見た宮崎は、これを「極めて不快、生命への侮辱だ」と一蹴。2016/11/13>
この生命というのは、宮崎氏の知る身体障害者の動きのイメージだったようです。