fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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世の中と時代と声

◯男女入れ替わりドラマ

男女平等のテーマを取り扱うと、究極は、入れ替わり体験です。

「天国と地獄〜サイコな2人〜」

これは、階段で同時に転落して、主人公の女刑事と殺人事件の男容疑者の身体が入れ替わるというもの。

主演、綾瀬はるかさん、先日、ここでドラマ紹介した「インビジブル」の高橋一生さん、

「空白を満たしなさい」の柄本佑さんに、北村一輝さん、昨年1月からの日曜劇場で放映。全10回。オープニングが、ベートーヴェンの「運命」でしたね。

 

大富豪と貧民が入れ替わるものは多くありました。年寄りと若者も。

日本の総理とその息子というのは、遠藤憲一菅田将暉さんの「民王」でした。

韓国でも、イ・ビョンホン主演の映画『王になった男』は影武者でしたが。

入れ替わりでは、差の問題をリアルに考えられます。

 

で、このドラマ、ついでに加えておきたいのは、「正義」という観念。

容疑者に、免罪を認めたら、「私が正義のために刑事になったことが崩れる」という女主人公刑事の主張に、北村の演じる嫌な上司の、「死んだ殺人者にも主張したい声がある、消すな」という主張。結局、組織内でうまくできない奴が皆、まともだった。

嫌な奴、悪い奴にみえても、それぞれに事情があり、ポリシーがあり、それで動いている、

という点では、これまでの善悪二極のドラマが浅く見えるほど、

最近、こうした点で、日本のドラマも深まってきたように感じます。

クリント・イーストウッドに近づいてきたと思ったのでした。

 

このように、身体が異性となる体験をシミュレートしてみるといいですね。

きっと世の中の見方が変わります。

このドラマでも、声や食べ物の好みは、相手の体に支配されますが、メンタル面での話し方や癖などは、元の自分のが残る、つまり意識が、自分ということなのですね。でも、他人は見た目、つまり顔を含めて体で判断するのです。で、本題。

 

◯声の違いは、性差そのもの

高い声というのは、女性や子供の特徴です。それは、男性が、男性性を強調するために、獲得した低く太い声に対して、です。声変わりは、第二次性徴で、男性は、声で大人に歩みます。

 

ということでは、現在の日本において、男性の声が高くなったのは、男性性を強調する声を使えないような同調圧力があるとも言えるでしょう。このほうが、この時代としての問題でしょう。女性がもし高い声になったというのなら、それに対する本能的なものでもあるという見方も欲しいところです。

 

男らしい太く低く響く声が、この国では、もはやハラスメントにさえ受けとられかねないのです。(私への研修の依頼も、以前は、大きな声でしたが、今は、好まれる声になりました。)

 

おかしなことでしょう。ある意味で男性は、自分の声を否定されているのかもしれません。

ひげが気持ち悪いとか、脱毛しないと嫌だとか、思われると、そこはどうなのでしょう。

男性らしさ、それをどう考えるかに、正解は見いだせません。

「らしさを押しつけるな」が主流ですが。

 

どうも気になるのは、性別問わない、いや男性にも関係するハラスメントが、何事も女性へのハラスメントのように強調されることです。

女性が言うのなら社会問題となるが、男性から言うと問題にならないとか非難されるなら、おかしなことです。

 

たとえば、「女らしくしなさい」というのはタブーで、「男らしくしなさい」というのは、まだ使われます。男の子に「男の子でしょ」と言って、何が悪いのかという問題もあります。

そんなところまで規制していくと、ほとんどの言葉を使えなくなるでしょう。

 

ちなみに男女規範については、男性は賛成、女性は反対が多い、賛成する男性の既婚率は高いそうです。このあたりは、元々の性差からもきているだけに複雑です。女性が社会的に不利に扱われてきたのは、否定できませんが。

 

ウクライナでは、18歳から60歳までの成人男子は、徴兵に備え、出国禁止で国外に退去できません。明らかに不平等ですが、性差での役割分担で、許容される範囲という判断なのでしょう。女性兵士も15パーセントいます。

ちなみに日本の自衛隊では女性は7.4パーセント、1万7千人です。これを男女半々にしろとは思いません。

 

こういう私の発言は、男性視点なのでしょうか。

入れ替わって考えられていないのでしたら、すいません。

 

◯多様性と規制

多様性を認めるということは、いろんな人がいて、高い声、低い声、いろんな声があって、いろんな声の使い方があってよい、いろいろと選んで使い分けてよいということです。

 

そういう意味では、高い声=幼稚で未成熟というような言い方は、できません。

高い声やアニメっぽい声が、素の声の人もいます。地の声と演出との区別は、あいまいです。

 

女性が低い声で悩むように、男性も「女みたいな声」と言われて悩んできた人がいます。「女みたい」という発言も今は許されないでしょうが、ここは事実です。「男みたいな声」という言葉もあるのです。

ただ、男という言葉と女という言葉の使われ方自体、歴史を背負ってきているので、同等に並べることもできません。たとえば、男になる、は、肯定的な意味合いですが、女になる、は、かなり複雑です。

 

男性の性同一性障害の人は、声を高くしたくて涙ぐましい努力をしています。さまざまに複雑な問題があるわけです。

 

声の違いは元々、性差に基づくものであるだけに、安易に男女の対立構造に利用するのは避けるべきだと思います。