◯男女でなく父性と母性
戦いや災害など、危機状態のときに、最も重要となるのは、体力です。
自分の身や他人を守ったり、物を運んだりする、強い力です。
それは、生物として、男性の筋力の方が強いのです。
性別を超えて考えるとしても、心身を鍛えてなければ、非常事態には対応できません。
人を助けるどころか、自分のことさえ、守れないでしょう。
気力や精神力も、体を鍛えることで養成し支えられます。
日本人の身体は、戦後、体格は良くなったものの、体力は弱体化する一方です。
平和に繁栄し安定していると、当然のことながら、そうでない国の人々よりも、心身が弱くなるものでしょう。
特に、日本の場合は、エリートなら文武両道、普通の人よりも秀でていなくてはならないことが徹底されないようになりました。アメリカの課した反軍国主義に加え、情報サービス化社会への移行が、輪をかけました。
その結果が、女性はともかく、急激な男性の中性化、あるいは女性化です。
ここでジェンダー問題を論じるつもりはありません。
女性が強くなることはよいことですが、男性が弱くなることはよいことにはならないのです。
他の国では、女性が強くなるほど、相手に自分にないもの、つまり、強さを求めます。それは、男性性の特性だからです。
ところが、日本の女性は、そうした男性性の強い男性を好まなくなるという変わった国なのです。同じく男性も成熟した女性を好まない国ですが。
本来、自由になり個性的になるほど、人は、自分の個性とは違う個性を求めるものです。
日本の場合は、異質排除、同調圧力のせいか、自分と似たものから離れにくいのでしょう。
島国、村の掟は、相変わらず、有効なのです。秘めたる天皇制の力です。
ビッグモーターと損保ジャパンをみても、変わらないのですね。
大阪万博も、案の定、五割り増し、終わったら、費用はどうなっていることやら。
異なる個性に応じるには、それなりに強靭な気力、体力が必要です。
それが欠けてきているのでしょう。
それでは、本当の自立は、叶わないような気がします。