『地上の楽園』との勧誘で北朝鮮に渡った「帰還事業」で過酷な生活から日本に逃れた男女5人が北朝鮮政府に賠償を求めた訴訟を、東京地方裁判所は、時効で賠償権利消滅と退けました。帰還事業は、昭和34年から25年も続き、在日韓国・朝鮮人と日本人の妻などおよそ9万3000人もが北朝鮮に渡っていたのです。
◯現代史の復活を
私は、日本で現代史があまりに安易に扱われているのかが不思議でした。
そのうち歴史教育というのは、50年100年経ってからでないと難しいことがわかり、納得もしました。
その時代を生きた人たちは、その時代のことをよく知っています。ところが、その子供たちには、栄華を極めた時代ならともかく、悲惨な体験の後では、その事実が隠されて歴史が伝えられます。それらの事実が公になるのは、後年、まごやひ孫の時代になってからです。
しかし、今と将来に生きるためには、自分に近いところの歴史をしっかりと把握しないでよいはずがありません。
◯日本の戦前の歴史
戦前、日本では農村が疲弊し、娘の身売りなども行われ、働き手も徴兵されいなくなっていたのです。それが下級軍人らが政府転覆を考えた背景であり、未遂であったものの、そこから軍国化の道をたどるのです。
中国では、1921年、第一次国共合作です。日本では1923年関東大震災です。
1929年の大恐慌の時に、影響受けなかったのが、ソ連でした。よって、社会主義への羨望も高まっていたのです。
◯日本の戦後史
そして、日本人から歴史と自立したアイデンティティーを奪うという、アメリカ人の日本人精神弱体化政策は、成功したわけです。神道、皇室、歴史教育に対して、日本人がなんとなく言及を避けるのも、その方針に従わされてしまっているのです。
GHQは、農地改革、財閥解体、労働組合結成と、なんとも社会主義的な方法で、日本の改革を進めていきました。アメリカ本国と反対とも思える方針です。日本国内でも左派の思想を持った言論人、官僚、教育者、そしてメディアの影響が大きかったのは確かですが。
戦争に懲りた日本人は、「今までは全て間違いで、逆のことをすればよい」というストーリーに乗せられたままに、高度経済成長に邁進したのです。
敗戦は終戦、占領軍は進駐軍、日本国憲法は自主憲法、日本軍は自衛隊、駆逐艦は護衛艦など、言葉のレトリックでのごまかしのオンパレードです。
戦後の日本を作ったのは、戦争から戻った人であり、大正時代生まれの人です。
昭和に生まれた人は、戦前の教育での精神的な支えに裏切られ、それでも経済成長を目指して日本の富を蓄えました。食べ物、モノ、カネに走ったのです。
そして、団塊の世代となると、自分たちだけがよければ主義になり、日本の成長にブレーキをかけ、衰退させたのです。
それは、アメリカの成した戦後教育の結果であり、日本人の民主主義もどきであり、平和ボケです。
◯日本史の必修化
歴史は、戦後、社会科に入れられてしまいました。
今は、中学校では、社会科の科目があり、地理、歴史、公民があります。それに対して、高校では、社会科でなく、地理歴史科と公民科です。地理歴史科のうち、歴史科は、世界史A、世界史B、日本史A、日本史Bの4つです。
現行の学習指導要領では、世界史が必修で、日本史は地理との選択となっていました。日本史を学ばない高校生もいるので、よくないとなったのです。
そこで、歴史総合という必修科目が生まれることになりました。