fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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できること(続) ニッチと成熟市場

前回の給付金の7割が貯蓄にまわったということで、今回は内容は違えたものの同じ10万円です。先のことに備えるのは大切ですが、貯蓄に回せるなら緊急ではないのです。つまり、すぐに生活に使わなくてはならなかった人以外は、もっと大変な人たちに回さなければいけない分なのです。もちろん使った人にも、あぶく銭と思ってとんでもないことに使った人もいるわけですから、それは除きます。そういうことを言うと、やむなく貯蓄をした人からクレームが出るでしょうが、それは、もっと大きなところで何倍も給付金を得ているところを告発しなければいけないはずです。週刊文春が、すしざんまいが助成金不正ざんまい、と出しました。真偽は分かりませんが、不正三昧は、こんな程度ではないのです。

私のところにも、コロナ対策等への補助金を申請したらとアドバイスをもらうことがありますが、もっと大変そうなところがあるので、できるだけ自力でがんばっていこうと思っています。がんばれる分はがんばる、どうにもならなくなる前で支援に頼る、当然のことだと思うのです。

もらえるもんならもらっておこうと複雑な手続きをものともしない人が得て、そういったものに疎くて何も知らされない人がより悲惨な状況に追い込まれるのなら、それは支援の仕方がおかしいとしか言いようがありません。おかしいままにして続けているのです。それはもちろん、利権のため、票のためでしょう。

 

さて、昨日の自己実現論の続きです。

自分ができることを周りと比べて確立していくために、周りのレベルがとても高いことに対しては、大変です。しかしその中で優れたら、かなりの実力と言うことになります。

周りのレベルがとても低いことに対しては、その中で優れるのは簡単です。しかしその後に、大した実力でないのでなかなか大変になります。

例えば日本人であれば、これを国際的なスケールで考えると、視覚や味覚については、国民的にレベルが高いです。四季折々の風景、そこからもたらされる山海の産物、そして工夫、加工、清潔にしなければいけない衛生管理など、生活の中にかなりの高度なノウハウが含まれているからです。ですから、和食の料理人として、日本で通じるのであれば、そのまま世界で通じるです。そればかりか、フランス料理やイタリア料理においても、この優れた味覚を武器に、一流の評価を得ることは、それほど大変なことではありません。

それに対して、音声表現力は、かなり劣っているわけです。世界中のリーダーのスピーチ能力を比べてみても一目瞭然です。日本では、そういった能力があまり問われないどころか、未だに寡黙をもって大物とするような風潮があるからです。

前者は成熟した市場、後者は、ニッチ市場かもしれません。すごくメジャーなスポーツ、例えば野球を選んだら、そこでプロになるのは、とても険しい道のりです。これに対して、昔であれば、同じ人が、サッカーを選んだら、よりトップクラスになっていたでしょう。ただし、プロサッカーはなかったわけです。

あるいは、もっとマイナーな卓球やバトミントンになれば、野球部でレギュラーになれない人でも、全国大会で優勝などもあったと思います。でも今は、中学校で名が通っているくらいでないとオリンピックの選手になれないそうです。私のときには、野球部の人が、陸上部よりも速く走れ、水泳部よりも速く泳げるなどは、ざらにありました。つまり最も身体能力に優れていた人が、皆、野球を選んだわけです。これは競技の中でもいえます。100メートルで必ず1位になる人がいるなら、2位や3位になる人は、1位になれる400メートルとか800メートルに転向します。ですから100メートルで10位の人は、10番目に速いわけではないわけです。

 

ゴールデンタイムにプロ野球が3試合ほどが中継され、朝の挨拶が、巨人勝った、負けただった頃に働いていた人に、野球人を尊敬する人が多いのは、野球というのを皆がやっていて、どれだけ優れていないと、そこに残っていけないのかを知ってるからに違いありません。

 

もちろん人生は、これほど単純に2極に分けられるわけではありません。しかし、両極を考えておくと、いろんな判断に迷うときに、大きなヒントになります。