fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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新庄劇場 競争 やりたいことよりできること

新庄剛志さんが、日本ハムファイターズ監督となりました。20年前、日本人初の野手メジャーリーガー、翌年日本人初のワールドシリーズ出場、ゴールデングローブ賞も10回獲得している名選手でした。派手なパフォーマンスについては、新庄劇場でググってください。かぶりもの、バイク、ゴンドラ、イリュージョン。劇場と言えば小泉劇場もありましたね、

こうした個性溢れる1人の人間劇場のパフォーマンスは、魅せることを至上とする、この時代、学びの宝庫です。

で、野球と言えば本家アメリカ、小泉首相のあとのオバマ元大統領のスピーチといきたいとこですが、本日は、自己実現について。

 

アメリカの属国に甘んじて、知らぬうちに独立心をもたないできた戦後の日本では、平等で競わず、まわりに迷惑をかけないこととした教育に偏っていきました。競争を戦争と同じように思うほどに、日本人の戦争アレルギーは大きかったのでしょう。勝つことよりも結果へのこだわりのなさが美徳なのは、日本人らしさでもあったし、それ自体は、悪いことではなかったのですが。

それが、アイデンティティのなさ、個を出さないことがよい、というほうに流れていったようにも思えます。アイデンティティや個性などは、他の人との違いから生じるのですから、周りと比べるしかありません。若いときには、競争から知るのが最もわかりやすいのです。

自分ができると思っても、自分よりできる人ばかりがまわりにいたら、できるとは思わないでしょう。自分ができないと思っても、他の人たちがもっとできなければ、そこに自分の何かを見出せるかもしれません。

今の若い人の自分のやりたいことがわからないというのは、私たちの頃のやりたいことができないのとは違います。やりたいことができないのは、まずは、そういうことのできる環境、時間、金などがないためでした。自分にそこまでの才能や実力がないということもあったでしょう。それは、その条件を持つ人と比べることによって、明らかになってくるわけです。すると、それを手に入れるために、どうするのか、となります。そして、ある人は努力して手に入れていき、ある人は諦めて他の道を行ったのです。昔は年齢でのハンディが大きかったので期限も厳しかったのです。

一方、わからないというのは、私が思うに、わからないのではなく、ないのです。自分を知らないから見えていないということです。他者と競わないで見つかる方が珍しいかもしれません。期限がなくなったことで自由になりましたが、だからこそ煮詰まらないのかもしれません。生涯がモラトリアムと言うのは、使える人にはありがたいことですが、使えない人には、結構大変でしょう。10代までに厳しい競争をした人と、そういう経験のない人のギャップっていうのはすごいものだからです。

選べないのであれば、選ばず、すべてやってみるとよいでしょう。全てをやろうとすると大体用無しに優先順位が決まってくるわけです。つまり忙しくすると言うことです。人間、暇になるとろくなことにならないのです。否応なく現場に出れば、他の人と比べられます。大体は、中途半端では、どれも残らなくなるので、結局、ないとなります。

ない、ということなら、そこから今の自分に何ができるのかを考えればよいのです。このできるというのが、とても曖昧なのでしょう。そこは、自分が他の人にできること、他の人に役立つこととして考えていけば具体的になります。

何も誰よりもそれができなくてはいけないとか、世界で一番できなくてはいけないわけではないのです。そうするといくつも出てくると思います。その中で、自分が生きがいを感じられるもの、技量を高めることによって、より自分が相手に多く与えられるものを選んで、専念していけばいいのです。

人間には、死という期限があります。それと向かいあって生きることです。