先に、歌謡曲での例「恋の奴隷」を出したので、もう一つ。
大体、阿久悠さんの詞は、一転して時代先取りしていました。
これは、さだまさしさんの「関白宣言」のロジックにも似ています。
どちらも、1979年。
そのまま読むと、男性社会、
でも、彼らの詞の本意は、女性へのリスペクト、女性の自立、
ひいては男性の弱さを歌ったものです。
歌詞の本意を想像する、そんなに難しいことではありません。
ここのところ、ジェンダーではなく、ずっと自立や強者と弱者の視点で通しているつもりです。
「カサブランカダンディ」
冒頭から
〜ききわけのない女の頬をひとつふたつはりとばして
で、、
〜ボギー、あんたの時代はよかった、
もちろん、ボギーは、ハンフリーボガード、「カサブランカ」の、です。
◯男性原理の崩壊
日本の場合は、「男は黙って耐える」ということが美徳であったから、
よほど非常な状況下で鍛えられていないと、心身に無理が来るようになってきたのです。
若い男性が化粧、脱毛などをするのを憐れむようにしかみない男性は、まだ少なくないでしょう。
しかし、高校野球球児でも、長髪#で甲子園に行く時代です。
となると、おじさんは、自分自身の心身に対して、あまりにも雑に扱いすぎているとなるのです。
#高校球児の長髪
昨年、出場校で見てみます。
<花巻東(岩手)は、2018年の夏の大会後、野球の邪魔にならない程度に自由にした。
立命館宇治(京都)は昨秋の大会後にやめた野球部だけ頭を丸める必要はないと感じたという。
慶応(神奈川)は戦後すぐの大会ですでに髪形が自由だった。浜松開誠館(静岡)や英明(香川)などは、髪を伸ばしていた。
日本高野連が5年に1度行う全国調査でも、頭髪を「丸刈り」と回答したのは全体の26・4%(前回76・8%)にとどまった>