FNS九州8局共同制作 ドキュメント九州・石牟礼道子の面影を追って
をみました。
「人類は生類と言う大きな世界にある時、初めて人類足り得る」
と言ったのは、石牟礼道子さんでした。
生類、ですね、私たちは、人類の前に。
生類と言っても、私たちは、生類憐みの令くらいにしか使ったことありませんね。これは、犬公方の徳川綱吉の1685年から始まり、24年間で100回以上おふれが出たそうです。生き物だけでなく、子供や老人を捨てることなども禁じ、傷病人の保護なども含まれました。天下の悪法として名高いですが、よい面もあり、弱い立場の人間にも向けていたようです。動物愛護法の先駆けともいえるでしょう。
徳川の天下から幕末に続けます。
〇幕末から大戦、賊軍と陸軍
幕末の賊軍の反発が、陸軍のエリートとなり、権力を獲得して大戦に走らせました。
そのまま、本土決戦になったら、国体の消滅になりかねませんでした。遅すぎた降伏でしたが、それでもよしとする見方もあるのですね。
〇官僚と政界の癒着
明治時代さながらの官僚主導の日本では、ずっと官僚が政治家を指導し、経済界に対して力をふるってきたわけです。官僚に対して、政党は天下りで見返りを与えてきました。規制し、めんどうにするほど、天下り先は増え、官僚の重要性も高まります。
こうして官僚と政界と経済界は、癒着し続けてきたのです。癒着で排他的なゆえに、戦後、強力な日本を再建できたのです。しかし、今となると…。
〇判断能力の養成
真のエリートとは、言われた仕事をするのではなく、自分で仕事をつくる人、そして自分で的確に判断をする能力がある人です。
この判断能力の養成を日本の教育では未だできていないのです。それは今の政府、官僚の動向を見ていたら、一目瞭然でしょう。
こうした人間関係のしがらみで作られた統治システムは、ひずみが多いのです。では、なのに、なぜ継承されたのでしょう。
それはそれなりに緻密な人間関係を尊ぶのをよしとする気風があるからでしょう。現にそういう組織にはそれなりの自尊心と節度があるからです。
つまり、イデオロギー的に暴走することはないのです。ニヒリズムへ結びついたり、自己保身、自己弁護、自己否定の組織に陥ったりしにくいのでしょう。
そういうことで日本では、良くも悪くも、旧態が温存されていく体質が根深いのでしょう。