〇戦中派の思い
戦争に行った人たちは、戦後、口をつぐみました。
ギリギリの15歳くらいで戦争に行けなかった人たちは「次には勝つぞ」という思いを秘めました。それ以外の人たちはもうこりごりと思ったわけですね。
〇55年体制での駆け引き
55年体制では、自民党はアメリカの傀儡政権で、社会党はソ連寄りでした。
そうした均衡があったため、日本は、アメリカともけっこううまく駆け引きができたのです。「日本の面倒をしっかりと見ないと、共産化するぞ」と言うような圧力を感じさせたのです。
〇アメリカの戦略
学生闘争もまた、将来、日本が共産化しかねないという脅威をアメリカに与えました。
しかし、それをサブカルチャーでうまく取り込んだのが、アメリカでした。
ベトナム戦争への批判など、アメリカに反体制的な運動があることによって、アメリカの民主主義の健全さを過大評価させられたのです。安保に反対してもアメリカの自由と豊かさには憧れていたからです。
日本の政治家も、したたかに、国際的対立構造を戦略として、もっとうまく使う頭があれば、と思います。
◯団塊の前の世代
日本社会全体を考えて、支えていたタフガイが、1970年代くらいまでいました。嘘をついたり裏切ったりしつつも、公的な使命感は強かったのです。
私は、団塊の世代よりは、今となると90代以上の戦争経験者の方を信用してきました。
団塊の世代が、全共闘運動の後、文学や音楽や学問など、あるいは、ビジネスに専念できたのは、そういう人たちに日本の中軸を任せられていたからともいえるのです。そうでなければ、挫折でなく革命のほうに動いていたはずです。
アメリカは運動を抑え込むのに、自国の軍隊でなく日本の自衛隊や警察を表に立てたわけです。一方でサブカルチャーで魅力的なコンテンツを提供し続けました。団塊の世代は、すっかりそれに浮き足立ってしまったのです。
高度成長期の頃までのアメリカに追いつくレースでは
とても優秀だった官僚も、
今や新たなものが出ると、規制して課税して、抑え込みます。
それを政治家にコネをつけた企業に
バラマキと中抜いて、バックマージン。
オリンピック関連企業の中抜きは、話題となりましたが、
氷山の一角です。
売りのない製造会社と、右から左に流すだけでマージンを取る流通や
人材派遣、プロデュース関連会社に、税金が流れていくのですね。
そうした在庫品が、役所や学校に廻されているわけです。
旧来の親方日の丸傘下関連企業の生き残りに使われているのです。
まるで年金みたいなもんです。、、、、、、言いすぎかあ?