fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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政権交代

 亀井金融担当大臣のパフォーマンスのもとに、注視を集めてモラトリアムが発動されようとしています。しかし、これまでに日本の政策のどれだけが一時楽にしつつ、長期的にダメにしてきたのかを考えてみるとよいでしょう。
 私は、小此木教授が”モラトリアムの時代”といっていた頃、大卒とともに髪を切って社会人となりました。団塊の世代よりは、社会人としての儀式や踏ん切りをなくしつつあるときに卒業したのです。それでも、まともに就職しないことは即、落ちこぼれの烙印を押されることでした。世間を気にすればのことですが・・。

 CO2の25%削減も、日本の企業は、すでに他国より、高い実現案をしているのに、なぜこういう数値の上げ方をするのでしょうか。他国と同じ水準に加えて、何パーセントとかと言うべきで、数値だけみると、とことん損な数値だから、まわりをあっといわすのに25%などという、大きなものに、しかもちょうど25%とは、なんと、大ざっぱな感覚でしょうか。
 理想の国、日本としては少し鼻が高いが、つけは国民にくるだから、アメリカや中国はそんな約束は決してしない。この純粋素朴で正直な国を私は誇りたいが、まるでインカ帝国のようで心もとない。自刃して、正義を問うサムライ日本でありたいと思いつつ、それを問うほどの世界はあるやなしやと。

 とはいえ、外圧で競争力を高めた日本の企業の日本人の底力を信じるとすれば、内圧で自ら、高いハードルに挑むのはよい。しかし、公言という約束と実現への責任とは、違う。夢は100年先まで語るとも、4年の政権なら、4年以内の約束にしておくことではないでしょうか。

 国家戦略局のネームもとかくいわれているが、司令塔のつもりで、強い司令官=管大臣を置いたのに、機能しようもないようです。経済財政次官会議を、安倍総理以前の強さに戻した方がましということになりつつあります。
 公務員や官僚を天下り廃止とか、減らすとか、給料減よりも、その責務、報酬に見合うだけ、全力で働かせるという発想はないのでしょうか。