fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「トリアージ事態とボケとリーダー」

人は、どうしても優先順位をつけなくてはならないことに出会うことがあります。極限の危機状況ではトリアージです。(日本人は、割り切るのも合理的な思考も苦手なので、ひどいトラウマを抱えてしまうことも多いようです。)
そうした機会や経験がないと、何もできないで追い詰められてから極端なことをして最悪の事態にしてしまうのです。加えて、日頃からの思考訓練もいるのです。
そうしたことにならないように予め、対応するのが、リーダーの役割です。それとかけ離れたトップととりまきしか選んでこなかった私たちは、もはや滅びつつあるのかもしれません。

一人の人生からみると、仕事と知人の助けの板挟みとか恋愛とか、どんなことでもほぼ優先順位をつけざるをえません。区別、区分けとはいえ、差別に感じられることも山ほどあります。
個性や多様性を重んじるほど、その基準は定められなくなります。異なる考えや立場の人を尊重するとなかなか決められなくなります。決めるとそういう人たちにフェアでなくなると思うからです。

民主主義はそこを時間をかけて精査して妥協と納得で折り合いをつけていく制度です。
しかし、緊急事態では、手に入る情報だけで、物事の本質、真理を見抜き、対策を打ち出し実施するのが、真のリーダーです。それは、多勢の反対を押し切り、即時、非情に実行することになるのです。先のことを考え、今、恨まれる選択をするのです。
そもそも多数決で全員一致するようなら、それは独裁か、大体が、ろくでもない妥協案です。

ワクチン接種に限りませんが、年齢順というのは、若い人にはアンフェアでも、長期に考えれば、これほど納得するしかない基準はありません。ついで先着順でしょうか。
(今回のコロナ禍は、最初、既往症のある高齢者だけにダメージを与えていたからなおさらです。
唯一、医療従事者は優先、つまり緊急車両優先みたいな合意で、割り振られたのです。しかし危険地域もVIP職も優先されないのは愚かなことで、田舎で誰とも会わない年寄りは感染などしないのに)

ですから、緊急事態に独裁国家が強いのは当たり前です。封鎖、隔離がすぐできるのですから。しかし、そうでない国でも成功したところもあります。(日本は水際で止められたはずでしょう。人だけ抑えておけばよいので、ヒアリよりやりやすいのに。)
そして、変異して、感染を広げていきました。(そしたら、病床数確保と検査でしょう。中学生でもわかることです。)
医師会のトップが、先週になってまだ「これまで日本が経験してない事態なので、党内で議論してまとめて、、」というのを聞くと、コロナウィルスが、日本にはこれほど猶予を与えていたのに、(他の国の先行例を見る時間さえあったのに)何をやっていたのか、ボケ!と情けないばかりです。

すべての人に均等に接することはできません。その努力はすることです。
法、ルールや多数意見よりも正しいことをする、個人としての判断で、より優れたことをする、あるいは、そういう意見、そういう人を選ぶ、なかなか難しいことです。日本のような同調圧力と建前や権力に弱い国ではなおさらです。
優れたリーダーになるか、なれないなら、優れたリーダーを見分け、サポートするかです。サポートがいないと、この国では、優れたリーダーほど動けないからです。優れたサポーターには、努力したらなれます。
リーダーなのにリーダーとして資質がないなら、そういう人を使えばよいのです。(それができないから、ボケなのですが)

バブル後、日本の組織は硬直化してリーダーの資質のない人間たちが中枢に居座ったのです。資格、地位、肩書きだけにしがみついてきたような人たちです。学校側の顔色を伺って運営する高校の生徒会くらいの資質で、忖度力で出世する、それしかない人だけがそこに残っていきました。平和ボケ、極まれり、でしょう。
(私はこれまでも多くの組織で、それを見てきました。他を口先で批判しつつ、足元では同じことを行なっている人たちです。有能な人から去っていくので、当人たちは、最後までわからない、はだかのトップと取り巻きです。でも、国連やオリンピック関連組織のトップも似たようなものに堕していたようです)

そういう人の言行ばかりみている若い人たちはとても不幸ですが、反面教師にして学んでください。ボケた人たちの世の中で何もできないなら、それ以下のバカですから、ボケをバカにする暇があれば、理想をもち、ましな世の中をつくる努力をしていきましょう。がんばりましょう