fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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オリンピックと政治と戦争 構造問題

北京オリンピックが終わりました。いかがだったでしょうか。東京オリンピックから半年、次は3年後のパリですね。

さて、ウクライナが非常事態宣言を発令しそうです。

国を守るために攻めるというロシア、

日本でも、敵基地攻撃能力の保有をめぐる論議も出てきましたし。

 

第二次世界大戦に至るところでは、日本でも地方の農村で飢えの悲惨な状況なのを救うための経緯もありました。

今は、こうしたところの人々は食べられるようになっている世界で、つまり飢餓でもないところで、迫害や差別があり、なぜ戦死者を出すようなことを起こそうとするのでしょうか。

大人になったので私も、そういう構造がある、とは、わかります。

しかし、20世紀の悲惨な教訓を経ても、それをなくすような解決、つまり、平和を最優先できないものでしょうか。

譲りあえない人たちが権力者となり、欲を持つ人たちが、その人たちを支えている構造は、どうにかならないのでしょうか。

 

〇無駄遣い祭典でみる構造

オリンピックに限らず、サッカーやラグビーのW杯でも、日本の組織委員会の事務総長は、省庁のOBが務めています。東京オリンピック組織委員会の4割は、省庁や自治体からの出向者です。

こういう人たちは、その後の利用などを考えずに、その場かぎりの使い切りの無駄をします。余計なところに、企業の利益を誘導し、何倍もの経費を膨らませているのです。

自らの縦型の組織と政治家の利権を守るためにコストをかけようとする運営です。

 

〇オリンピックのナショナリズム

オリンピックは、結局のところ、国の威信をかけた競争で、マスメディアは、それを煽り、国民はそれに乗せられるのです。それでも、戦争からみたら、健全なナショナリズムです。

日本人であれば日本人を応援します。地元や出身校や自分の会社に関係するアスリートやアーティストがいれば、応援したくなるでしょう。血縁、地縁など結ばれた関係が強いほど、気持ちも入るものです。

国が同じなら、今度は地方と、より共通のコミュニティを見出して、自分と近いほど、ひいきするのです。選手が同じ言語を話すとか、自分が行ったことのあるところで育ったとか、共通点を見出すほど、親しみがわくからです。

 

〇グローバルとローカル

自分が行った国や友人のいるとか世話になった地域などでも、ひいきしたくなるのです。

でも、バイリンガルであったり、同じくらいに両国が好きであったら、同じように応援したくなるのでしょう。これらは、グローバル化の良い点です。

このグローバルの時代においては、私たちが応援する日本チームの選手は、他の国の選手と、同じくらいの距離にいるのではないかと思うのです。同じくらいに遠く、同じくらいに他人でもあるということです。

羽生結弦選手なら国を超え、中国でさえ多くのファンがつき、応援するのです。金メダルをとった中国系アメリカ人のネイサンチェン、彼はラージヒルの小林陵侑選手とそっくりというフィギュアの実力ナンバーワンの選手ですが、かわいそうなくらいです。

 

〇スポーツと戦争

人々の魅力となるものは、そういう影響力を持つのです。となれば、いろんな利害問題をスポーツで片付けることも、あってもよいのではないかと思います。

 スポーツと政治を結びつけるのは、よいことではないのですが、スポーツは、常に政治に利用されてきました。争いの代用手段ともなってきました。

非常時には、未だに戦争を手段とする国際法が定められているわけです。

戦争が、国の争いとして、たとえ兵士あれ、殺すことが許されるルールで行われるとしたら、それをスポーツでとって替えることにはならないのでしょうか。

、、、でも、アスリートが兵士になるか、兵士がアスリートになるだけか。敵国の兵士を応援できるかってなりますね。だから、なんであれ、殺したり傷つけてはいけないんですよ。

 

〇代理での戦争

それで、戦争での戦い方も、心理的負担が重くならないように、銃から爆弾、さらに空爆と、現場を離れ、より遠くにより強力に発展させた兵器を開発し利用してきたのです。

誰も自分の手は直接、汚したくないのです。だから、よくないのです。

今やAIによるドローン兵器となって、それこそゲーム感覚になりかねません。

AI化により、相手を傷つけることへの呵責がさらになくなると、もっとひどい状態になるでしょう。まして意思決定をAIに任せてしまえばどうなることでしょう。

 

 本来であれば、代表同士の決闘で決めればよいことだと思うのです。なら、プーチンが勝つか?

戦争や紛争は、血縁、地縁から、最終的に民族や国の争いとなり、総力戦となっていったわけです。一方で、年配者やお金のある人に、貧しい者や若い者の命が買われ、売られる構造となったのです。

 

現代の戦争や紛争は、リーダーが最も安全なところにいて、最も無力な弱者が前線に送られ、命をやり取りされるわけです。代理となるのは、若い人、貧しい人、愛国心のある人です。

つまり、国同士の戦争ではなく、そうした人々の犠牲で、既得権者がその利権を守ったり増やしたりするためなのです。

となると、戦争に限らず、今の社会が全くその通りの構造になっていることをに思い当たります。

グローバル化は、南北問題を、全世界に広げていったことになります。