fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「『内閣不信任案否決』と非常時について」 2011/06/06

前日まで反対票が大半だったのに管氏のスピーチ、鳩山氏のスピーチで、当日は横粂勝仁氏、松木謙公氏の二票しか入らず、そのあと大の大人が言ったの言わないの、嘘つきとかペテンとかのやりとり、あまりに見るに耐えなかったのです。理念や信念のないことよりも、恥の観念がない人たちが日本のトップであれこれやるのは、教育上も悪いのです。つまり腹がすわっていないから、こうなるのです。

とはいえ、こんな時機に交替させるのは、と思う日本人は、事態が悪くなるときに非情になれない、つまりは非常を忘れてしまったのですね。

原子力村」は、そういう私たちの精神構造上に存在していたのであって、政治や東電が悪いといって、土下座させたり、給与を下げたり、ののしるのは、軍人や大本営が悪いといって罪をなすりつけ、戦後、しゃあしゃあと生き逃れられた私たちでもあるのです。

民主主義のもと、代議士を選んだのは私たちですから、「自然災害」はともかく、「原発の事故」は民意の結果でもあるわけです。非核三原則の国に原発を私たちはつくったのです。他の国は、核戦争のための部隊をもっています。きっとアメリカなら彼らが突入したでしょう。日本は、そんな力のない東電や自衛隊が、突撃というような感じで指示され大変な状況に立ち向かってきました。

この人命軽視は先の大戦後期と変わりません。事態を救うための犠牲でなく、ますます、危険になるだけだからです。少なくとも今は、東電が最大の成果をあげられるように支えてあげるべきだと思います。憤りはわかるのですが、土下座で留飲を下げても、問題は解決しません。なのに初動の不備、不手際が指摘されていても、またも同じことをしています。なぜ私たちは決断できない国民になったのか、覚悟ができない生き方をしてきたのか、を問う機会です。

それにしても、海外の国々はしたたかです。きっと今の日本は昔のビルマのように緩衝地帯として生かされているのかもしれません。ビジネスまでも清く正しく美しくやるようになり、世界からはよいカモになりつつあります。厳しい競争で鍛えられてきた他の国に、「日本はいい」と思われるように“いい人”ばかりを残してきたのが今の政界から教育界のあり様なのです。それが悪いことというのでなく、現実の世界=国際社会ははるかに厳しいということです。ところが自己規制するにも、恥の観念の喪失が、政界から相撲界まではびこることとなり、ルールなどあってなかったような日本の社会で急にルールにフェアに「正しい“いい人”だけ」しか許さないという気運が高まってしまいました。これはまさに“女性型”の社会であり、その代表が今の政界の首相と元首相なのです。

“いい人”は、皆をおちこぼれないようにしようと、異質や才能をも抑えます。そういう人にとってわからないことや思い切ったことをする人は“悪人”です。将来のために事故を事象とか想定外といいます。私は、“正しい、いい人”がよくないといっているのではありません。ただ、そういう人はあまり将来のためにならないことが多いと経験上、思うのです。非常時には向きません。

現状の改善や保守には使えるのですが、破壊的な状況、非常時には、大胆な発想のできるリーダーがバラグラムを変えないとまた同じ不幸が起きるのです。今こそ己(自分たち)に非情に“悪い人”となり、その分、他人(将来の子孫)にやさしくなるときなのです。