ゼレンスキー大統領が地下鉄駅で会談をしたからではないでしょうが、東京都は、地下鉄駅105ヶ所を一時避難施設に指定しました。私も何年か前に弾道ミサイルのハーザードマップを所内に掲示したことを思い出しました。常に非常事態を考え、備えることは、必要なことです。天災もありますし。でも、皆が逃げ込む方がパニックになるのでは、、、。
◯対露敵対感情の抑制
日本人のなかにも、ロシアの軍艦や戦車などが破壊損傷している報道に、喝采し万歳をするような人たちもいるようです。焼け焦げた戦車は乗務員全員の戦死を意味します。ロシアの兵士一人ひとりにも、その生死の心配し無事に帰ることを願う家族や友人がいるわけです。
ウクライナで爆撃されている人がロシアを憎悪するならともかく、安全な日本にいて、いきなり、そういう気持ちになり、発言をするようになるのは、恐ろしいことに思います。
その人が、というより、去年までロシアもウクライナにもさほど関心のなかった人が、いきなり豹変する、スポーツでのにわかファンのようにのめり込んでしまうことが、です。コロナ禍など身近なところからの不安や不満の捌け口にもなりかねないからです。
ウクライナを支えることと、ロシアを攻撃することとは、全く違うことです。
◯戦争の恐ろしさ
当事者でなくても、その気分になってしまうのは、共感能力があるからです。人によっては、「やっちまえ、殺してしまえ」となる、そういうところが戦争の恐ろしいところです。
こんなに簡単に、人間をその気持ちを変えていってしまう、だからこそ、先の戦争で懲りた日本人は、「絶対に戦争をしてはいけない」、そのために「軍隊を持たない」とまで、決心したわけです。この論理はおかしいのですが、、。
ともかく、戦争の動きに巻き込まれてはいけない、その気運が盛り上がったときには、もう止めようがなくなるのです。そして、始まってしまったら簡単に止められないからです。
特にこの国、日本は、同調圧力と団結してのめり込むとその空気を変えられない国です。なおさら、兆しのあるところで防がないといけないと思うのです。
ですから、憲法9条や改憲問題に、変えることに意味はないとなってしまった私でも、年配の方が「絶対に9条は護らなくてはいけない」と強硬に主張されるのは、とても納得できます。
わずかな兆しから、ずるずると大きな戦争になるからです。
「戦争になるかも」「戦争をやらねば」「戦争で現状打破」「戦争をやらざるをえない」と、メディアや国民の方から動いていったことを忘れてはなりません。そして、軍隊が動き出したら、一個人の主張など飛んでしまうのです。
どんな理由であれ、「戦争はいけない」「戦争をしない」と、決意した、それをこの77年守り続けたのが、日本です。その考えを世界に広められなかったのですが、せめて、ここで踏み留まる必要があるでしょう。
◯気分を抑える
日本も、ウクライナ侵攻以降、「戦争となると戦わなくてはいけない」「国は自分たちで守らなければ守れない」というような動きが高まっています。それはあたりまえのことですが、そういう気分を煽っている人も出てきています。
日本人の平和ボケからの反転として、こうした議論は必要です。しかし、短絡的に進めすぎると自分の首を絞めることになりかねません。主体的行動と思って急ぐことが、ただ巻き込まれていることになっていないのか、充分に注意することです。