持ち上げたスターを、不祥事、あるいは、さだかでない噂で一転、徹底して叩く。かつては、声で投げかけたものが、今やネットに投じるようになり、その分、陰湿化しています。顔と顔をつきあわせ、声を交えることがないからです。人は、直接会ってみて、わかりあえるということを忘れているのです。
日常、善良な家庭の父親が夜中に誰かターゲットとされた人を虐殺する、KKKの仮面のように、私的なネガティブな感情が、匿名を許され集団化すると、集団催眠のようにもなります。ネットで賛同されると、あたかも公に追認されて絶対的なもののように錯覚されていく、 そして、それが皆の意志のように、みている人たちだけが、思い込んでいくのです。他に、さして表現手段のな
い人には、その力は魅力的であり、そこでの主導権争いは真剣みを増していくのです。
私は、そこに時間を割かないので、無責任とも暴力とも言う立場にありません。要は、短い人生のなかで、どのレベルを求めて生きるのかに尽きると思うのです。本当に内容のあるものなら、どこを活動の中心としても、その人は頭角を表し伝わっていくものでしょう。そこで空回りしていると、本人の成長が遅れるだけなのです。 深い問いであれば届くし、浅い答え合わせなら浅い人同士で行っていればよいと思うのです。ただ、早く気づけよと願っていますが。