◯日本人のえらい人に巻かれる体質
下記に引用したのは、『日本語に生まれること、フランス語を生きること』
の著者の水林章さんのことばです。
日本と日本人の根底にある変わらぬものに触れています。
安倍政権や地方自治体での最近の問題を例にわかりやすく説明しています。
日本語という言語がそういうなかで生まれ、
そういう体制を維持しているわけです。
このまま、日本民族がグローバル化する世界,新たなる社会で生き延びられるのか、です。
ま,上位下達体制、で、長いものには巻かれろ,ということですね。付和雷同、寄らば大樹の陰、ですね。
<作家は、フランス各地の書店の招待を受け、読者との討論会にのぞみます。
、、、フランスでは、書店のスタッフや読者と対等な立場で、、、ディスカッションをするのが印象的です。、、、 2012年に第2次安倍晋三内閣が成立すると、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めてしまうといった政治の破壊、政治の私物化が次々と強行されていきました。はなはだしいのは、安倍首相による国会での118回にも上る虚偽答弁です。もしもフランスの政治家について同じようなことが発覚したら、大きなデモが起こって辞任に追い込まれるのではないかと想像します。
ところが日本では、こうした恐るべき腐敗状況が存在するにもかかわらず、国民の側から有意な抵抗が起こることがなく、なし崩し的に物事が進んでいくのです。
なぜ、この国では何事も起こらないのか? この、白井聡(政治学者)が言うところの、「完成した奴隷根性と泥沼のような無関心」の根本にはいったい何があるのか? 、、、、
たとえば官僚制(官庁ばかりでなく企業をも貫く合理化された「組織」という広い意味での官僚制)を例にとってみると、本来、上下の区別は単に作業の役割分担なのであって、上位者であることは人間としての価値とは何の関係もないはずです。ところが日本では、福沢が指摘したように、上位者に価値が集中して「えらい人」になってしまう。『文明論の概略』を読み抜いた丸山眞男が説明してくれているとおりです。
このことを「個人」と「集団・組織」との関係という観点から見ると、この国では帰属集団に超越する価値が決して支配的にならないという点が重要です。上位者が体現する集団の価値が絶対化してしまうのです。ですから、たとえば、「知事」の理不尽な行動について疑問を抱いた下位者が、「県庁」という集団・組織を超越する価値(たとえば「良心」)に依拠して糾弾するという、いわゆる内部告発がしにくいのです。
集団の価値が絶対化し、それが自明の、問われることのない価値であれば、告発者は裏切り者と見なされ徹底的に弾圧されます。いわゆる「村八分」の構造ですね。この国の最終的な帰属集団は「日本」ですから、最後には「おまれはそれでも日本人か」という殺し文句が出てくる。ここにはこの国のあり方と西欧世界のそれとの根本的な相違があると思います。PRESIDENT ONLINE9/26>
(、、、は,中略しました。)