◯ネット社会なう
ネットの書き込みは、最初、便所の落書き扱いでしたが、広範に広まることや残り続けることで、問題が次々に出てきています。
自宅の壁に落書きされることも脅威でしょうが、ネット中心で生活している人には、同等の影響がないとはいえません。特に若くて経験の乏しい人、まして、子供には、影響が大きいでしょう。
いつ知れず、横にいる人より、ネットでつながる人を優先するのが、当たり前になりつつあります。
◯外部からの侵入
かつて、電話が家庭に入ってきたとき、玄関に置かれました。最初は、近所の人で借りにくる人もいました。そのうち、廊下や居間に置かれるようになり、いつのまにか、子機が各部屋にも。そして、携帯で完全にプライベート化したわけです。どんどん、その位置は中心に移動してきたのです。
◯身体性と信用
信頼する人たちの期待によって、私たちは自分をつくる、そうした環境で自分というものはつくられていくのです。
その中心は、家族と地域のコミュニティーでした。家にかかってくる電話もほとんどは、そういう間柄だったのです。
そして、大切なことは電話では話しませんでした。
膝をつきあわせ、顔を間近に見て、共に食べたり飲んだりして、語り合いました。
そして、目に見えぬ信頼を育んでいくのが、人生でした。
◯声から文字、そしてデジタル化
生の声は、身体と結びついています。
しかし、文字は言葉を体から引き離して、永久に劣化しない情報に変えたといえます。それは文明化に欠かせぬものでした。
デジタルネットワーク技術は、その延長上にあり、効率を重視します。
◯情報化と文化
こうした効率化が重視されるとお金や数字と相性がよくなります。つまり、情報化です。
それは、ローカルな地域の風習や文化と、ときに対立します。
ネット、SNSでのやりとりには、身体化されたコミニケーションによる信頼関係はありません。