人生にリセットなどはないのです。これまでの自分の歴史、育ちだけでなく、先祖からのDNAも含めて、人生とは、継承してきたことの表れです。
物事、「もの」から「こと」へ、どんなこともストーリー化へ、マーケティングがそうなってから、当たり前のように若い人に、そういう思想が浸透してきたのでしょう。私たちにもその責任の一端はあるのでしょう。
どんなことからもストーリーをつくりあげて逸れていく、その手法に慣れた世代と、それをつくってきた世代。かつては、誰かのつくったものをみる、それに対して、感想を言うだけだったのが、今や、誰もがストーリーをつくる、つくるようにアドバイスをされます。IT化のもたらしたのは、自作のストーリーの世界、人生の仮想世界化、そして自作の自演での自己満足、自己肥大化。
すぐれたものだけしか世の中に出られず、その力をつける努力をするか、それを受けとめるしかなかった世代と、何でもすぐにつくりだし発信しては反応を得る、ゆえに、ちょっと受ける力をつけていった世代。ソフトとしては、後者の方が恵まれていますが、育ちとしては、果たしてよかったのか、と。つまりは、自らへの教育です。
一個人で専門もカバーできないから、個人の枠を取り払ってグループ、集団化していく、それは、世界と一体化するのでしょうか。クローズしていくのでしょうか。
個としての天才性と集団知との戦い、あるいは共存?。平均レベルの上昇とそれに伴うスターやエリートの不在、日本の歌においても述べてきたことですが、殊のほか日本では、その傾向が強いように思います。