◯生存欲求と社会性
生存欲求には、個と種があります。
社会性を重んじてきた人間にとって、社会のために個を犠牲にしても、正しく美しく清くありたいと感じるのは、おかしなことではありません。
社会のために家族を犠牲にする、他人のために自分を犠牲にする、そうした行為は、人として立派だと思われます。
ということは、簡単にできることではないのです。
つまり本音と建前は、違ってくるのです。
思春期の頃には、そうした大人を汚く感じてしまうでしょう。頭の中では、そうあるべきという観念でいっぱいになってしまうからです。そして、自分でも実践できないという現実につきあたり、妥協しオトナになっていくのです。
◯倫理的批判
倫理的に正しいと思うと、理性も曇ってしまいます。
健康によいという理屈づけができると、「では、食べよう」となるようなものです。
社会とか人間がこうあるべきだという倫理感を持っている人ほど、それを侵犯してきそうな他人に対しては、厳しくなってしまうのです。
◯ポリティカルコレクトネス
ポリティカルコレクトネスとは、政治的な正しさです。
属性によって、差別や偏見を持ってはいけないという意味になります。
そういったものに比して、そうでない行為を摘発する、ネットにポリコレが登場するのです。
◯考察の時間と記録
瞬時に反応を求められると、感情レベルでの言葉となります。
ものごとの真意を正確に理解し、考察するには時間がかかるものです。
SNSなどでは、なんでも思ったときに発言します。それは事実未確認でも、なかなか修正できず、言い訳などをすると、さらに広がります。ですから、スルーするか消去してしまいがちです。
しかし、スルーや消去でなく、修正を重ねていくようにしたいものです。
ネットという即、レスポンスしていく場においては、週刊誌などよりもさらに確証を得ない情報であおられていくのは、当然のことといえます。
だからこそ、日時と共にその修正のプロセスを残しておくことが大切なのです。