fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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中国の将来 国家と理想

◯自由と平等

中国では、一党支配での統治のために、市民の自由な言行、特に体制批判につながるものは、徹底して抑えます。

一方、経済活動の自由を抑制すると、その成長は止まります。言論の自由を抑制すれば、知的イノベーションも起きにくくなります。

20世紀に分かったことは、国という想像のコミュニティ#では、自由にすると、無政府状態になるし、平等にすると、全体主義の監視国家になることです。

それなりに自由と平等を両立するには、経済的な安定が必要です。それには、裕福な人が弱者を助けることで、国が介在しなくともできなくはないのですが、広範にフェアに行うとなると、国でないと難しいのです。

自由は個人の欲としても、平等は公の権力による社会体制での公共福祉、人権擁護などが、主体となります。

個人の欲に反する、富の配分を調整するのは、その中庸#の意識です。個人の感情、人間としての慈悲、慈愛で、そのためには、健全な中間層が多数、必要なのです。しかし、。実際は、自由主義国家の社会福祉と富の配分は、共産主義国家への対抗で促されていたわけです。

 

◯理想のモデル

その理想的なモデルは、かつてのアメリカであり、その後の日本だったのかもしれません。

どちらにしても、20世紀のことです。

社会主義は、そこに失敗しました。共産党は、一党独裁体制にしたのですが、結局、全国民を貧しく平等にしたからです。貧しさには、耐えられる限度があります。貧困が不満、批判となり、社会変革や革命のきっかけとなるのです。いつのまにか理想が、体制維持のための言論封鎖、権力者の不正の横行となるからです。

そして、資本主義もまた社会主義なくして独走すると、理想的な社会から遠ざかっていくのです。敵がいないと、まとまれない人間の限界なのでしょうか。

 

 

#中庸

<徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、誰にでも発揮することの出来るものでもある恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教倫理学的な側面における行の基準をなす最高概念であるとされる。goo辞書>

 

 

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