まして、これからの自分の可能性、
潜在能力の開花については、
程度問題どころでなく、
本人次第で大きく異なるものです。
なのに、未だ古いドラマの勧善懲悪のように
二極化思考が強化され、
国際関係も教育も何もかも、
そうなりつつあるように感じます。
総じて、
ますます、手間が、かかる時代に
いえ、かけなくてはならない時代に
なったと思えるのです。
以前は、若さゆえに、
極端に走る、
偏向する、
でしたが、
今、それは世代、年齢を問いません。
できないのではなく、まだ、やっていない。
なら、間違いではなく、足りないだけということです。
一方で、少々、まねることができたり、気づきがあれば、
もう、できたように思ったりもする。
この浅さとは、何なのでしょう。
競争社会でなく,
注意叱咤されることなく,
ちょっとしたことでも褒められ、
そのままの自分を
そのまま認められてきた環境のせいでしょうか。