fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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数字を信じすぎない ペロシ氏訪台後

ペロシ氏訪台に、中国が軍事演習でのミサイルだけで面子を保てると思えないだけに心配です。日本のEZZ(排他的経済水域)に、というのは、日本へも牽制を入れているのであり、今回、韓国は中国につかざるを得ず、で、、、

こういう面子争いが引くに引けず、拡大して膠着する例をずっと見てきたわけですから。

 

◯データとフォームの改良

いつの間に私たちは、数値に支配されるようになったのでしょう。

体重計にのると、その数値で喜んだり悲しんだりする、達成感やショックを得る。

それは、アスリートが記録に挑戦するのとも似てもいます。あるいは、ビジネスマンが売り上げや株価の数値に翻弄されるのにも似ています。

数値は、科学的な根拠のように思われるからです。

長きにわたる教育で、主に試験の点数で評価されてきた私たちは、数値を最大の自己評価として受け止めることに囚われるようになったのでしょう。

 

◯数字の全能感

数字によって、自分の体がコントロールできているという全能感は、案外と凄まじいものです。どうやら数字を参考にしているうちに、数字に依存してしまうようになってきたのです。

ダイエットやマッスルジムに、はまる人が多いのは、体そのものが変わっていくことだけでなく、その継続を支えてくれる数値データのなせる技なのではないでしょうか。

ギャンブルは、うまくいくと、ちょっとした入力が数倍の出力になって戻ってきます。そこからくる達成感に煽られるから廃れないのです。何倍、いくら、というのも、数字です。

 

◯フォームの変更

身体の使い方が変わると、自分自身のコントロール力は、一時的に失われます。しかし、それによってのみ、新たな可能性が大きく開かれることになるのです。

スポーツ選手がフォームを変えるときは、このままではいけないと追い詰められ、必然的に未知への挑戦をしなくてはならない状況に追い込まれます。引退か改良かを迫られることもしばしばです。

つまり、限界を見て、それを超えるためです。その裏付けに数値データが使われてからは、スムーズになったようにも思います。

 

◯検証と身体的感知力

そうした数値が、センサー技術や分析ということで科学的な根拠のように思われるからです。

しかし、本当にエビデンスとして使われている例は、ごく少数です。きちんと検証していくと、ほとんどがビックデータなどでの確率のようなことに過ぎないのです。自分に合うのかどうかは、全く別の問題です。

多くは、数字のトリックです。その思い込みからのプラシーボ効果です。

それを知った上で使うこと、特に自分自身に関することは、個別のことなので、自分の身体の声を聞くことを忘れないことです。そうでないと、情報に、特に数値データを伴うものに振り回されかねません。