五感を大切に 実感とデータ 視覚と聴覚の違い

◯五感のなかの視覚と聴覚の違い

為末大さんが、選手が自分が感じたことよりも、分析したものの方を頼りにしているようなことを懸念されていました。そこは、私も賛同しますが、例として「こんにちは」という自分の言葉を録音して20人ぐらいの人の声と聴き比べると、自分の声を聞き間違えてしまうという実験結果をあげていました。自分で話している声さえ、わからない、感じていないということを言いたいのでしょう。

 

暗闇に対して、常に暗視カメラで補っていると、その感覚が衰えるようなことはわかります。

可視化されるというのは、映像で視覚によるインプットです。

しかし、それは、聴覚では違います。しかも自分に聞こえている自分の声は、他人が聞いているものや録音されたものとは、違います。

自分が聞いている自分の声とは、自分の内耳からも伝わってきた声であって、録音された声とは違うからです。それに対して、他人の声の方は、録音しても、そこまでの差はないので、その方が、はっきりとわかるのです。

もちろん、彼のように報道されたことが多く、インタビューや解説等での自分の声を聞き慣れていると、すぐに自分の録音された声は判断できると思います。それは特殊な経験を経た上でのことです。普通の選手ですと、ラジオなどから聞こえる自分の声にも違和感を持つでしょう。アスリートは、声の仕事ではないのですから、そこは一般人と変わらないでしょう。

 

◯自分の感覚とデータ

現場で選手が演技後、すぐにタブレットで演技を確認するということに違和感があるということもおっしゃっていました。まずは自分の実感を大切に、といいたいのでしょう。今の人たちが、目に見えないこと、数値化できないことで決定することが、苦手になっている例として、挙げているのでしょう。

私としては、実技した感覚が残っているうちに、映像で体感とのギャップを確認するのも大切だと思うのです。

まあ、音声は、聞く立場で評価されるものなので、自分が出した実感より、自分が聞いた実感の方が、重要なところが違います。

しかし、実感と結果のギャップは必ずあるものですから、それを視覚だけでなく、他の感覚でも確認することに着目すればよいと思います。長嶋茂雄さんは、バットを振る音で確認していました。もちろん当時は、今ほどの映像分析ができなかったので、単純には比べられません。今は音の分析もできるのですが、そこまで取り入れられていないところでは、やはり視覚重視です。なんにせよ、スポーツやダンスは、音楽や声とは、違い、見るもの、見えるものです。

 

非常事態のように、タブレットがなくなったときにどうするのか、ということはあるかもしれませんが、競技においては、電気やタブレットがなくなることを想定することは、必要ないと思うのです。むしろ、使えるものは、使い方さえ間違えずにうまく使えば、利用できます。

もちろん、実体験でも指導でも実績のある方なので、ハイレベルな選手には、そうかもしれません。そこを考えるなら、次のように言えるでしょうか。

 

体重計があるのに、自分の体重を感じて当てる必要はないと思います。しかし、一般的には、データから示された体重計の数値の理想があっても、選手には、その数値よりも、そのときの自分なりの体重のベストというのがあるのでしょう。であれば、鋭い感覚で判断したほう方が的確と思われるのです。そこで、一流選手の身長と相関させた平均値などという数値にこだわると、マイナスになることもある、みたいな。

一般的には、メタボの基準数値や睡眠時間などは、その例だと思うのです。いくら平均値や医者のアドバイスを参考にしても、個人差があるので、自分の感覚を元にした方がよいでしょう。

 

感覚や五感を大切に、というのは、視覚以外の感覚も大切に、ということでしょう。視覚は忘れられることはなく、むしろ、すべてが視覚だけが、ますます中心になりつつあるからです。

この分野、味覚、嗅覚はあまり関係がないでしょうから、触覚と聴覚が中心となると思います。

 

こうしたセンサーやデバイスの発達によって、人間の能力の向上補助される一方で、失われているもののあることは、確かです。

総まとめとしては、視覚とそれらの感覚は大きく違い、特に聴覚はかなり違うといえます。

自分の感覚を磨き、信頼していく一方で、調子が悪いときやその感覚が信頼できなくなったときには、データで補助していく、

つまり絶好調のときはデータにとらわれないで上を目指し、不調の時はデータで好調な状態に戻すと、いうような使い方が理想的だと思うのです。