fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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ミャンマーの話 「インパールの戦い」光州事件

昨年2月1日のミャンマーのクーデタからちょうど一年です。

ミャンマーは、軍政の問題、自然災害などで、悲惨な状況に陥っています。

私の知人にもミャンマー人たちと親しくその支援を続けている人がいます。

 

そういえば、昨年10月末の盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の国家葬の弔辞で金富謙(キム・ブギョム)首相は「現代史に消せない大きな過ちを犯したことは動かせない事実だ」と軍人側だった盧氏を批判しました。光州事件のことです。

韓国映画でいうと『光州5・18』(2007年)『26年』(2012年)『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)です。

文大統領は、ミャンマー軍を非難する声明を3月に出し、5月には「今日のミャンマーに昨日の光州を見る。光州がミャンマーの希望になることを切に望む」と発信しました。

韓国は、ミャンマーへの人道支援などを行っています。だども、日本は、、、!

 

若き私にとって、光州事件は、当時、報道されていたにも関わらず、全くの遠いことだったのです。今の若い人がミャンマーに対して感じているのもそのくらいかと思うのです。

日本にいると、戦争などというのは絶対に起きない、街の銃撃戦など想定もできないでしょう。しかし、善良な医師が散弾銃で殺されたり、沖縄署に投石されたり、の現実もあるのです。

 

時代は動き出したら、どんな事態も簡単には止められない、その前にそのようなことを想定し、情報を集め、自分なりに考え備えておく、そういう訓練を積んでおかなくてはなりません。

 

インパールの戦い ほんとうに『愚戦』だったのか」 (笠井亮平 文春新書)

 1976年生まれの著者です。インパールはインド北東部マニプル州にあります。日本軍の南方攻略のマレー作戦とビルマ作戦に関連したところです。

75周年の2019年に、日本財団笹川平和財団の支援でインパール平和資料館が開館しました。

イギリスの博物館が、自国の最大の戦いを決める企画を行ったときに選ばれたのが、インパールの戦いだったそうです。「東のスターリングラード」と呼ばれているそうです。なんと、ノルマンディー作戦やワーテルローの戦いよりも上位で本国の人も驚いたとか、です。

私には、牟田口廉也中将の愚と自滅、白骨街道のイメージしかなかったところでした。

そこを大松博文監督やワコールの塚本幸一さんらが撤退していたのですね。

 

藤原岩市のF機関、光機関、陸軍中野学校と大川(周明)塾、エドマンド・リーチ、チャンドラ・ボース、そして、アウンサンなど。

戦陣訓には、俘虜になることを禁じていたので、そうなったときの対策が書かれてなかった、とか、今にも続く、言霊に支配される、日本人の戦略やリスクマネジメント力のなさも、多々。

著者は、準備と情報力の差が、敗因と分析します。

再度、ですが、準備と情報です!

 


まぁ、日本人は歴史好きで「応仁の乱」やなんとかの乱を読むのもよいですが、

こういう現代史は、次々と改められていくので、常に学ぶことも大切ですね。