〇程度の問題
考えてみると、誰でも見たいものしか見たくはないし、見たいものしか見ていないものといえます。これは、程度の問題です。
でも、程度こそ重要なことです。ネットが見たいものの方向へ引っ張るからこそ、
そうでないものを見ようとし、そうでない方向を学ぶことが大切なのです。
惹かれないものをあえてみるように心がけましょう。
〇文化の価値
たとえば、日本の文化、伝統を尊ぶのと、それがすごくて偉くて優れていると思うのは、
全く異なることです。
また、海外を学ばずに日本は学べませんが、日本を知らずに海外も学べないのです。
価値についての学び方は、とても難しいものと思います。
〇コミュニティの厳しさとやさしさ
日本は、平等な社会であって、と思うと、
その平等についていけない人は、仕方がない、自業自得というような考えになるのでしょう。
村とか家というシステムもまた、自営業と似て、自己責任ということでした。
それは、いまさら、どうのこうの、いうことではないのです。
なんにしろ、コミュニティというのは、同調圧力を迫るものなのです。
極楽で、のほほんと生きていけるような場は、本来、地上にはないのです。
もし、そうだと思えるのなら、それは、他人に同調圧力を強いていることに他なりません。
それに気づいていないのか、気づかないようにしているのか、
ということでは、救われないのです。
本人もですが、まわりもです。
ただし、これも程度の問題です。
本当の弱者には、セイフティーネットを、助けることを忘れてはなりません。
本当でない弱者が助けられ、本当の弱者を助けることについて、
日本人は大いに意識が欠けていると思います。
そういう弱者は、コミュニティーの外にいるので、見えないのです、
いや見えないようになされているのです。