続きです。
◯戦うのでなく、戦うことをきちんと考える
ベラルーシに留学していた子は、「自分は戦う」という。
自衛隊にいた子は、「銃をもっても人に撃てるか」と自問する。
国外に出た人は、そうでない人より、考えるのです。
それは、なぜか、日本の国内が、国際的にみて、普通でないからです。
この先に論議を深めていくことを求められるのです。
それに対して、「戦い方は武器だけではない」と、識者のコメントが入ります。
そうではあるのですが、大人がそこを混ぜ返したら、だめでしょう。
殺し合わないで、、という手を差し伸べたら、理想論に戻ってしまうのです。
(大体、銃を持つことも禁じられ、徴兵訓練もない日本で
、また、竹やりで、というのでしょうか。)
確かに、意見は出にくくなるけど、
出ないでしょうが、
なら、沈黙しょうよ。持ち帰ろうよ。
戦争しないように食いとめる、戦争になっても国外からや国内で戦いを支援する、
そういうことで、戦う現場の当事者から、顔をすぐに逸らすのです。
いつまでも、日本人の陥る思考停止パターンです。
戦うことを考えるから戦争が起きる、武器を持つと使う、だから、持たない、
パターンです。いわば、言霊思考です。
論議で血を流さないから、本当の血が流れるのでしょうが。
指摘にもありましたが、
「戦争に巻き込まれたらどうするか」というアンケートの設問自体、日本らしいですね。
アメリカでは、こんな受け身な問い方はしないでしょう。
これは、すでに相手が悪い、こちらは被害者の前提です。
日本が自衛のために攻めることなど、想定もしないのでしょう。
その回答は、
戦争に参加せず反対の声をあげる 36%、
国外に逃げる 21%、
戦いを支持する活動に参加する 10%、
戦闘に参加する 5%、
わからない答えたくない 22%。
多分、あまり変わらない、ずっと考えていないということです。
戦争に巻き込まれたときには、こんな選択など、できないのです。
今、やらない人は、災害と同じく、運を天に任すことになるのです。
日本人は、当時の「いわゆる本土」に侵攻されたことがないから、
こちらが攻めなければ大丈夫みたいな思いを引きずっています。
先の大戦で、空襲で都市は壊滅、原爆までくらったというのに。
今後、戦争かどうかもわからないままに、
ドローンが、人をターゲットにするかもしれない、というのに。