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「想定外の事態についての対処」 2011/4/6

原発問題についてマスコミや知識人の論評では、さかんにごまかすとか嘘とか、詭弁とか、なかには絶対に安全と言い切れ、日本人はあいまいとか、断定しない、言語能力がないなどという人もいます。

「不安なときにちゃんといってくれないと何もわからない」というエッセイもありました。確かにそうあればありがたいのですが、一方でこういう人たちはすべて調べたらわかるとか、情報を出せば正しく判断できると思っているのでしょうか。ただ、私たちの不安や憤りを代弁しているのでは、メディアに迎合しているだけとしかいえません。

想定外の事態に対しては、専門家も言論人も、分かるわけはないのです。未経験のことには、結局のところ、イマジネーションしかないのです。そのために人類は、リーダーを選び、いざそういう事態にはリーダーの直観的な決断に委ねる。そのようにして生きのびてきたわけです。

どうなるかわからないことに対処するには、早急ゆえにトップダウンしかありません。ある意味、今となれば間違いとも批判されようが、ブッシュ大統領や小泉氏は、あのとき(9.11)、そういう判断をしたのです。そういうときの判断に自分たちの命を預けられるだけのリーダーを我々は選んでいなくてはいけなかったのです。

今回、自衛隊アメリカ軍の活動に対してのメディアの扱いの小ささは、軍事的なことへの懸念でしょうか。どこでもいつでも想定外のことは起き、対処を迫られます。トップの直観に委ねる。その上で、自分の直観を信じてそれに抗って、別の行動をする自由が許されることもあってよいとも思います。

リーダーも現場も、命を賭けて判断、処理をします。大勢を救うために犠牲者が出ることもありますが、この辺りは今の日本人にはあまりに平和ボケすぎてタブー化しているので、危険を犯さないことによって、危険を大きくしがちです。でも、「絶対に安全という判断ができない」のに、すぐに、手を打たなくてはいけないことばかりなのです。人類の歴史もその繰り返しであり、それが悲劇を食い止めたり、悲劇を起こしたりしてきたのです。

日頃、歴史や古典や現実の世界に学び、将来の日本のために、今、何をどうすべきか、判断するのかは、ブレーンや参謀や技術者ではできません。経験やデータに基づいての、判断はできないからです。それを彼らから本質的な情報を必要最小限にひき出し、リーダーが決める、それを「命を賭けて」ということなのに、と思います。もっとも情報を得られるところにいても活用できない人をリーダーにしてはいけないのです。

日頃から死に向かいあって、将来のあるべき国の姿を明確に持ち、あらゆる情報とブレーンのネットを適時、組み合わせ柔軟な発想ができる、そういう人でなくては、こういう非常時の非情なる判断はできないのです。

常に危険を想定しておくこと、それでも想定外はあることで(想定外のない準備などはコストがかかりすぎて現実には不可ですから)、そのときに、どうするというリスクマネジメントを何重にも想定しておくのがリーダーです。日本はチェック力、想像力(想定力)、危機管理力において、ますます劣ってきていることを知るべきです。