fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「現場への思い」 2011/4/5

私は直接、現場を見ていないので大したことはいえないのですが、ただ、いくつか気づいた点をあげてみます。

管首相については、この時期にトップであることで、本人にも日本にも不幸と、当初の現地視察から、トップであれば絶対にすべきでないことを本人も周りもやってしまえることに、政治へのさらなる絶望を感じます。まずはブレーンの大臣を現場に張り付かせ、現地の情報を集約させて陣頭指揮させつつ情報を得て発想をすべきに思います。

東電へのマスコミや皆さんの非難に対しては、現状のつかめないものに情報公開もありえないし、はっきり言えといわれても技術者が推量や嘘をはっきり言うわけにもいかないでしょう。

現場で体を張っている人に敬意を示すとともに、私は東電はともかく、日本人の技術力を信じたいのです。チェルノブイリや、スリーマイルは数日でおさまったというのですが、確かにしばらくおさまりようはないのですが、爆発までしたのに、何とか被害は、今のところ、最小限にとどめられているのです。(もちろん、今日にでもこの見解はひっくり返るかもしれませんが)

政府や東電のあまりに稚拙な対応とも叩かれているのですが、これは核戦争を含めて核の万一の事故をあまり考えてこなかった日本という国の欠点です。スリーマイルやチェルノブイリ、核実験の被害もあった国々であるフランスやアメリカ、中国が神経質に、過敏になるのは当たり前なのです。煽られすぎる必要はないと思うのです。オバマサルコジも頭を抱えていることでしょう。何万分の1でも危険を退避できる人は、そうすればよいのは、今の日本にわざわざ来たり滞在したりする必要のない人には当然です。

さて、本来、出す方でなく、もらった方が発表するべき義援金PRも、それにつられて多くの援助の動きが拡大するなら、よいと思うべきでしょうか。そういうのを私はあまり好きでないし、あれこれ足らないと叫ぶ人も好きでない。もちろん、必要物資は別です。(主張すべきことは主張する。これについては、改めて、まとめて述べるつもりです。)

自衛官などに助けられて、「ご迷惑かけました」、というような人たちに、私は何度も泣かされてきました。それにしても、被災者が悲しみにひたる間もなく、充分に静かに涙を流せないうちに“再生”“復興”と日本の中心の方で大声をあげているのは、少し度が過ぎている気もしました。

問題はいつもこれからのことです。今の政府では、義援金をばらまくだけで、依存してくる人の自立に対する立案、発案、実行はできないように思うのです。それはきっと自ら頭を絞り、苦労して稼いで人を動かしてきた人でなくてはわからないことでしょう。

たとえば、お金を配ったり、家を建ててあげたりするのでなく(もちろん、最低限の環境は必要です)、漁師や農民の人々には日本中の余っている漁船や農地を与えていく、つまり仕事の手段を整えていくことでなくてはいけないと思うののです。(農地や港湾の整備を待たなくとも、就業できるように頭を使う。)

日本の復興は、この震災に関わらず、自立する人をつくること、その精神をもたせることに尽きます。

「想定外」と想定のできなかった学者、「直ちには害がない」と「直ち」としか言えない技術者にも、もっと専門的な力やネットワークを持たせることです。子孫のためにどう立て直すのかを本当に真剣に考えなくてはいけないと思うのです。

毎年3万人の自殺者(私はこの数字はかなりコントロールされていると思います。こんな10年以上、同じ数なわけではないので)つまり、一日100人も自殺している日本を根底から考え直す機会でないでしょうか。

まずは、東日本だけでなく、私たち日本人すべてが財と家と知りあいを失ったと想定して、進めていけばよいと思うのです。心身でも財でも被ったことを分かちあうのです。命あれば何でもできるのですが、そこに強い心や精神が必要なのです。