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ジャズピアニスト 穐吉敏子さんの94年

NHK番組「Long Yellow Roadジャズ伝説・穐吉敏子の94年」#

穐吉敏子さん#は、日本人の女性で本場のジャズプレーヤーにバンドマスターとして、

さまざまな壁を乗り越えてきたアーティストです。

まさに、NHK朝ドラにもなってもおかしくないでしょう。

NYでの共演者選びは大変でしょうが。

で、同じようなこと、考えるんだなと、妙に親近感を覚えた一言、

 

「自分で法則作りましてね、

自分のコントロールできないことには気を遣わない、注意しない。

人がギャーギャー言うのは自分でコントロールできないから。

自分でコントロールできないことは心配しない。

コントロールできる範囲で気に入らないことがあったら直す。

簡単な規則を作って、作ってから、わりに気分が楽になりましたけど。」

 

 

#「Long Yellow Roadジャズ伝説・穐吉敏子の94年」

<94歳にして現役ジャズミュージシャンとして活躍する穐吉敏子

アメリカのジャズ界でも殿堂入りするなど、快挙を成し遂げてきた。

そんな彼女が93歳で行った日本ツアーの様子やアメリカでのコンサート。

さらに豊富なアーカイブスで穐吉の様々な時代の力強い言葉と音楽を届けていく。

NHKBSプレミアム3/16>

 

#穐吉敏子<1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院で奨学生として学ぶ。1962年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。

1963年、最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちる。1965年離婚。

1967年にフルートテナーサックス奏者のルー・タバキンと出会い、1969年結婚。

1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成、

1974年、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。

1976年 「ミナマタ」#

1982年にはニューヨークへ戻り、1983年に秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年、世界的に名声を馳せた。

アメリカのジャズ専門誌ダウンビートでは秋吉とルーのビッグバンドは批評家投票で1979年から5年連続、読者投票では1978年から5年連続で共に1位を獲得している。

グラミー賞では計14度ノミネートされるが未受賞。これは歴代8位の記録。

1996年度に主にその著書『ジャズと生きる』で、第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞を受賞。

2003年ニューヨークのバードランドでの演奏を最後にオーケストラを解散。

2004年6月-7月にはNHK人間講座で講師を担当。

2005年、朝日新聞文化財団の朝日賞受賞。

東京・日比谷の帝国ホテルで開かれた受賞祝賀パーティーでは、木更津甚句に想を得た「ザ・ヴィレッジ」、「ヒロシマ そして終焉(しゅうえん)から」の最終楽章「ホープ」、「鞠と殿さま」の3曲を、ソロで演奏した。

2006年、初となるシングル「HOPE 希望」を発表。

現在はソロなどで活動中。(Wikipedia編纂)>

 


#ミナマタ

秋吉 敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドがRCAに残した数々の名盤の中から8タイトルを厳選。本作は1976年度ジャズ・ディスク大賞金賞受賞。

水俣病の悲劇を表現した大作「ミナマタ」での衝撃的な音作りが話題をさらった。

国際的な評価も確立したジャズ史上に残る名盤。1976年作品。 

 

fukugen.hateblo.jp

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