◯スピーチも文化
<アカデミー賞授賞式『君たちはどう生きるか』で、長編アニメーション賞を受賞した宮崎駿監督は式典を欠席し、壇上でスピーチを代読する者もいなかった。2003年に『千と千尋の神隠し』が受賞した際と同じ対応だ。
『ゴジラ-1・0』で視覚効果賞を受賞した山崎貴監督のスピーチは、映画『スターウォーズ』と『未知との遭遇』を見た衝撃から、ロッキー・バルボアのチャレンジ精神をたたえ、VFXクリエーターを鼓舞。ただ、壇上で監督は、下を向き、最後まで英語の原稿を読み上げ、徐々に英語は早口になり、聞き取りづらくもなった。英語であれば短い謝辞か、日本語で話し、他の登壇者が英語に要約するスタイルもある。
今年は、『オッペンハイマー』でオスカー(助演男優賞)を獲得したロバート・ダウニーJr.が、プレゼンターで、中国系ベトナム移民のキー・ホイ・クァンを無視したかのような振る舞いが「人種差別」として問題視された。主演女優賞のエマ・ストーンも同じ批判に。(4/25yahoo new編纂)>
ゴジラとオッペンハイマー、この二つの作品が評価されたことを、作品に乗じて、スピーチすればよかった、日本人としては。
日本人の奥ゆかしいところか、作品に語らせるのか、
いや、プロデュース力を発揮することでしょう。
「ハリウッドのゴジラとは、違うでしょう」とか。
それより、なぜ、昭和なのか、
今の日本では、気薄ですが、戦争の前後のあたりの日本人には、
確かに精神的なものが、強く息づいていたからでしょうね。