◯声の力
声に関しての二つの話から。
山根基世さんの声論
<声を聞けばわかるというのが私の持論。嘘をついていたり、何かをごまかそうとしていたり、相手を小馬鹿にした姿勢は、必ず声に出るものです。人の声には、心がくっついてくる。人が本当に人と向き合った時には、声は体の芯から出てきます。
ヘブライ語では言葉をダブルと言うと、敬愛する故・森一弘司祭から教わりました。ダブルとは、その人の存在から発する「息吹」のようなもの。単なる「意味」や「情報」に還元されない「言葉」です。
その人の存在が温かければ、どんな言葉でも、相手の心を温めたり、励ましたり、希望をもたせたりできる一方で、冷たい心から発せられれば、いくら表面的には美しい言葉でも、相手を傷つけたり、苦しめたりしてしまう。
1番問題なのは、空疎な言葉をよどみなく、平気で喋るのが、良いこととして受け入れられていること。饒舌な人たちが記号のような言葉を語り続けることがもてはやされているようです。」>
藤原智美さんは、
<現在は、グーテンベルク以来、500年に一度の言語の大転換期であり、「活版印刷の活字による思考」と「ネット言葉による思考」はまったくの別物だと言います。
瞬発力や反射神経で発せられる言葉に妥協しているうちに、その場しのぎの借り物の思考で済ませることが当たり前になっていく。
本来、プレハブの家に感動する人はいません。しかし、プレハブのような言葉ばかりが巷にあふれている。そのことに危機感を覚えます。p222〜223>
((文藝春秋2024/1)
NHKがニュースの一部を、AIで差し替えていることは、実験、あるいは将来の布石とは言え、あまり良いこととは思えません。紅白歌合戦で歌をダメにしたとまでは言いませんが、NHKは、言語文化に関して、日本語を守り、将来の指針を示していく役割もあると考えるからです。
「空疎な言葉をよどみなく、平気で喋る」とまでは思いませんが、ちゃんとした人間でないと、「記号のような言葉」になりかねません。ちゃんとした、とは、「饒舌な人たち」でない人です。
「ネット言葉による思考」が「まったく別のもの」とも思えないのですが、「プレハブのような言葉」「その場しのぎの借り物の思考」と言うことでは、考えさせられます。
今のテレビ番組、政治家などオピニオンリーダー、学者や専門家、芸人、文化人の話し方、声に、昔ほどの説得力が感じられなくなってきたからです。
信頼できる声で親身に対話してきた経験の不足を表しているように思えます。