◯ミューズの舞い降りるとき
1カ月前のこの日、立川談志師匠の13回忌でした。2011年11/21、
その4年前、2007年12月18日、よみうりホールで開催された独演会での『芝浜』について、
「また、違った『芝浜』がやれました。、、、よかったと思います。」(談志)
これは、伝説の一席と語り継がれています。
ノンフィクションライターの中村健さんの取材記事(「週刊ポスト」)
立川志らくさん、立川談春さんが、次のようにコメントしています。
「談志は、アドリブを重視している。
登場人物が自分を離れて、どれだけ好き勝手にしゃべるか。
そこにかけていたんです。」(志らく)
「談志にとってうまくやることなんて簡単なんですよ。で談志はそこを目指してはいない。
この日の芝浜は安全弁が外れて全部、自分の欲求に従ってしゃべっていた。
そんなの、恐怖ですよ。どこへ行っちゃうのか。噺として成立するかどうかは、最後までわからなんですから」
「これは立てないよな、と。うまくいったという安堵ではない。俺はやっちゃったという恐怖ですらあってほしいと思ってる。これまで見えなかった景色が見えちゃったんだから。
やっと立って、こっちにすっと歩いてきたときに、おつかれさまでしたと言ったら、うんと言ったきりでしたね。」
「会う人会う人にミューズが舞い降りたって、言って回ったそうです。」(談春)
今日のブログのタイトル、AIがつけました。
AIもまた、どこかでミューズになれるのでしょうか。
#新しい景色
#談志