◯世俗と魂
「体を殺すことができても、魂を殺すことをできない者どもを恐れるな。」
世俗の権力でなく神を恐れよということです。世俗の権力にひれ伏すような人を無視するというような生き方ができたら、強いものです。
神とは、良心と思えばよいでしょう。日本でいうと、お天道様です。
現実的には実践できないことも多いと思います。生活のため、まわりの人のため、今の自分のため。それでも、理想として、持ち続け、考え続けていくことが、とても大切です。
◯正義感
殺人の動機は、恐怖、怨恨、利害、正義感などです。
このなかで正義感からの動機は、もっとも恐ろしいものです。悪を滅ぼすという信念になると、殺人を厭わないどころか肯定するようになり、多大の被害につながります。オウム真理教などが思い浮かぶかもしれませんが、テロや戦争も、大体がそういったものです。
人を殺さざるをえないと、その動機に使われるのです。魂のある人間なら、そこで躊躇わざるをえないし、罪悪感で動けなくなるからです。
正義とは、普遍的なものではありません。そのことで、相手を悪を決めつけ、その存在、人権や人命さえ軽視し、蹂躙するようになるのです。
◯崇拝より笑い
どんな思想でも、のめり込みすぎないことです。なんであれ、行き過ぎ、偏りは、続くと危険です。崇め奉るのもよくありません。
どんな宗教も教祖も、誰かがどこかでこしらえたものにすぎないのです。まして、政治家やマスメディアなどの言うことは。
もし、それがまともなものでしたら、どこかしら、リラックスでき、どこか笑えるところがあるものです。そこで笑えるなら、自浄作用が働いているので、まだ健全です。
これは、居心地がよいとか楽ということとは違います。また、あなたを無条件に受け入れてくれるところがよいのではありません。多様性があるのか、個々の意見、考えがあるのかなど、です。
◯開放の勧め
近親憎悪というのは、近い人から言われるほど反発することです。似ているから争うのです。みんなとは違う、そことは違う、などと細かく比べるからです。
狭い付き合いのなかだけにいると、些細なことにでも、こだわりが強くなります。自分だけは、正しいことを行っていて、正しく判断していると思うものです。
だからこそ、身近な人ではなく、遠い人や違う人に指摘される方がよいのです。
そのために、自分の世界を外に広く開いていく努力を欠かしてはなりません。
真面目に勉強、修行や研鑽をしていても、外に開かれていないところは用心しましょう。
外に開かれていないと、多様性を失い、滅びていきます。近親婚のようなものです。
開かれてもいないし開くこともできないなら、そこから遠ざかる方がよいでしょう。
ともかくも、次から次へ、学んでいけばよいのです。
1つのところにとどまってしまうと、はまり込み、溺れ、やがて、それにも気づかなくなります。それは、一歩、間違うと、狂っているということです。