◯家のつくり
古民家があいかわらず人気です。代々木のほぼ新宿のれん街も、連日,大賑わいです。若いカップルに外国人も増えてきました。
家や街のつくりには、目的や意図があります。
日本の家屋は、食事のときも、庭のほうに開かれていました。四季の変化をとりこんでいるのです。縁側もそうでしょう。訪問客のもてなしや仲間内のコミュニケーションも考えられていたのです。安全で信頼関係があったからこそ、です。
◯察する力
悪いことが起きるのを防ぐためには、行動を止めて、静観する必要があります。動物や昆虫に習いましょう。
それによって、自分の心身で、何が起きているかを意識しやすくなります。
瞑想と同じです。
それは、自分の思考や感情にアプローチできる手段です。そして、それをコントロールする助けになります。人の気持ちを察することもしやすくなるでしょう。
◯瞑想と禅
お寺の縁側に座して,ときに瞑想します。マインドフルネス#ともいうようです。
瞑想は、目をつぶって静かにしていたり、ものを考えたりすることではありません。
西洋では、修道士が聖書の言葉を何度も声に出して覚える行為でした。言葉を味わって、そのイメージを身体に浸透させていくのです。
日本では,座禅の方が馴染めるかもしれません。
座して考えないのと、公案を考え尽くすのとがあります。
よくできた思想大系には、エリート向けと大衆向けの2面があるそうです。
顕教と密教のように、です。重層であり、階層ではないそうです。
#マインドフルネス
<近年の西洋でのマインドフルネスの流行は、それを仏教の中心であると説いた多くの著作に始まる。
医療としてのマインドフルネスは、分子生物学者のジョン・カバット・ジンが1979年にマサチューセッツ大学で、仏教色を排したマインドフルネスストレス低減法(MBSR)とする。この基本理念は道元禅師の曹洞宗とする。
「わたし」を中心に据えた自己修養、自己成就、自己増進のためのものと理解され実践されている。行動療法の一環として普及した。
瞑想研究は、2000年代に入ると、アメリカでの東洋の思想実践への興味で高まり、「今、ここ」への集中が仏教の思想実践に見られると考えられ、改めて注目された。マインドフルネス瞑想も世俗的な目標達成のツールとみなされている。
「わたし」が呼吸に対してマインドフルであろうと努力するほど、対象である呼吸との断絶は深まり、また、内面に注意を払い過ぎて、本当の意味で世界に開かれていないという批判もある。(Wikipedia参考)
#臨済宗は、公案の解決で見性しようとし、その答えを探求しつつ坐る看話禅。曹洞宗は、坐ることに集中する黙照禅で、道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む「只管打坐」を唱えた。北宋時代にこの二つの禅は、現代の日本にまで対立している。(Wikipedia参考)