fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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談春さんの声論 本物の歌手の違いほか

〇声の作家 司馬遼太郎

武田鉄矢さんが、坂本龍馬が好きでたまらないことは、よく知られています。何せバンド名から海援隊です。彼は、司馬遼太郎には声に惹かれたといい、司馬遼太郎は声の作家だといっています。

「この人がまず己の身体を通して歴史資料と向き合う仕事の流儀をお持ちだったからでしょう」

「身体を現場に置いてその身体をフィルターにして物事を考え直してみる。

想像力を決して頭に任せない。

だから、その『声』は身体を通して、耳ではなく聞く人の身体へ先ず伝わっていくのでしょう」

 

談春さんの噺と声

林修が熱望、天才落語家立川談春の話」(1/30日曜日の初耳学TBS)をみました。

談春さん、いわく

「演じてないですからね、落語って。演じてたら、できないですから。

演じることよりメロディーが大事だから、メロディーで喋っていった方が、人は音声を映像にしやすい。動きがない、小道具もないから。お客さんの脳みそを信じているから。何もなかったら、何でも想像できますから。

(中略)

心がなくても伝わる手法がきっとある、音しか考えられない、トーン。

このトーンでしゃべると人は泣くという音がある。正解は1つしかない。

最初のトーンだけで、もう聞かないって決められちゃう。」

つまり、喋る内容よりもトーンが重要と言うことです。

驚いたことに、彼はノートを使わず、噺の台本をイメージ画像として記憶するそうです。で、それを映像になるように語るというわけです。

喋り下手な人へのアドバイスには

「自分の思いを伝えることが上手な人より、相手の思いをきちんと聞いて受け止めてあげる人の方が絶対少ない、自分も幸せになる。人の話をきちんと聞ける人が本当にいない。」とも。

 

 

◯本物とモノマネとの見分け方

人間観察!モニタリング難問連発!国民的アニソン聞き分けクイズ  (2022年2月3日TBS放送)。出演は、ガイドヴォーカルの浅岡さんとYouTuber、ビューティーこくぶさん。

TM NETWORK菅田将暉、 LiSAの歌とモノマネ、どちらが本物かを当てるものです。

 

以前に、こうした番組の本物とモノマネについて述べたことがあります。(下記にダイジェストをコピー)テレビやCDでしっかりと何回も聴いていて、声や歌唱以外の要素で、判別のつく人もいたでしょう、というのを踏まえた上で。

 

ものまねのうまい人には、大体、次のような特徴があります。

カラオケっぽい、テクニカルにうまい、クセや動きがオーバー、声が浅く薄い、新鮮さがない。

それに対して、自分の個性を生かして、自分の喉をしぜんに使い、歌っている歌手は、声がストレートにバーンと届きます。声を1つに捉え、一貫性がある、声にも芯のある場合が多いです。しぜんにハスキーであったり、エッジが効いていたりします。やや太く、質感があり、圧があるのが、違います。パワーやインパクトがあるのです。

いろんな歌い手のものまねが器用にできる人は、そのために声を浅く口内で声色を加工しやすいようにしているために、そうした特徴があまりありません。

歌ってしまっている、歌いこなしてしまっている、歌にのってしまっているのです。どの歌を歌っても、うまく、それなりにこなせてしまうのは、そのためです。

ですから、その歌だけを聞くと、とてもうまいのですが、本当のプロ歌手が歌っているのと比べると、大体の場合は、素人でもこうして判別がつくくらい、伝える力が足らないのです。

 

付け加えると、ヴォイストレーナーにも、モノマネ名人が多いのです。なぜなら、歌手や目の前の人の発声を、スキャンして取り入れなくてはならないからです。ときには模倣してみせることもあるからです。

一般的なヴォイストレーニングでは、そういうヴォイストレーナーの歌唱や発声をそのまま学んでいくのです。それはカラオケをうまく歌ったり、その点数を上げるには、即効的です。

実のところ、プロレスファンがプロレスラーの技を真似しているようなことなので、声自体がなんら変わりませんし、素人声のまま、歌唱もモノマネになっていくのを上達と思うのです。

本物志向のヴォーカルになるとするなら、もっとも大切な要素を落としているのです。

特に、日本の場合は、歌唱については、音響技術がかなりのことをフォローし、カラオケが市民権を得て、そこに合わせて流行したこともあり、本当の基本が何かがわかりにくいままなのです。

想いを伝えることで、人の心を動かせないと、表現とはなりえないのです。

その基本とは、まずは、声の力です。

 

参考:

ものまねする歌い手の場合は、加工しやすいようなところで発声し、共鳴を調整しています。私がいうところの、声の応用です。応用しやすいとは、器用に変化させやすいこととなります。その分、ヴォリューム感とかインパクト、個性は、犠牲なります。

昭和の頃の、重く深い声の歌い手に対し、その後半から、軽く浅い高い声の歌手が、主流になりました。声そのものもですが、発声や歌い方も浅く薄くしているのです。

日本人の素人っぽい声でもフレーズ感がでるように開発されたカラオケが、それを増長しました。歌手が高音域のほうにシフトして、中、低音域で勝負するヴォーカリストはいなくなってきたからです。歌の分野でパターンが出つくしたため、音声加工技術に頼って行きづまりを打破する一つの方向だったのでしょう。

歌唱力というのなら、誰でもすぐに歌えるような歌で、どのぐらい魅力を出せるかです。