◯スイングの女王
日本のジャズの傑作と言われた「ラッパと娘」が、笠置シヅ子のコロンビア専属での最初のレコードとなりました。
高音を殺して地声で歌うことを服部良一に命じられたそうです。
そのため、喉をつぶして、病院で診察を受け、しばらく歌うことを禁じられたと言われています。
これには、スキャットがはいっています。
「バドジズデジドラ!」
「ダドジバジドダダ!ドジダジデジドダ!」
笠置シヅ子は、日本のマーサ・レイと言われました。
三島由紀夫も、そのステージに惚れ込みました。
「明治以降、日本に3人、女傑がいる、
与謝野晶子、三浦環#、岡本かの子、そして4番目は、笠置シヅ子だ」と。
淡谷のり子は、笠置の歌は、
「どうにも聞いてられないときがある」と評し、
「それは彼女の不自然な発声法とオーヴァーすぎるジェスチャーと、不必要にドナリたてる大きな声から受けるものとし、歌を勉強したものにとっては、恐ろしささえ感じます」と、(1950年5月21日 朝日新聞芸能欄)
ちなみに、笠置を可愛がった服部良一は、
ひばりは、うますぎて面白くないと言っていたようです。
「ひばりさんは何でもうまく歌ってしまう。」と。
#三浦環(1884ー1946)
本名は柴田 環(しばた たまき)。日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手として知られる。十八番は、ジャコモ・プッチーニの「蝶々夫人」、その“蝶々さん”と重ねて「マダム・バタフライ」と称され、国際的に広く知られた。
世界各地でオペラ「蝶々夫人」の主役として2,000回以上舞台に立ち、作曲者プッチーニから「マダム・バタフライは、彼女のために書かれたようなもの」と絶賛されました。
NHK連続テレビ小説『エール』で、柴咲コウさんが演じるソプラノ歌手・双浦環のモデルでしたね。『婦人公論』(昭和11〈1936〉年10月号)に自叙伝を寄せました。