〇勇気をもらう
昭和の頃の歌謡曲は、自分の馬鹿さ加減や未練や人生の陰を歌いました。
貧しさに負けたり、相手に振られたり、不幸になったり、それは、日本の私小説テーマと通じます。
それが、徐々に理想や希望を求め、恋愛の世界を輝かしく歌うようになります。いつしか、そのままの自分を肯定し、その自分を鼓舞していくのです。
そして、聞く人に「勇気を与えられた」といわれるような歌になります。
今や日本では、何をみても、アーティストやアスリートに「勇気をもらえました」という感想になったのです。
、、、でも歌などは、最初からそうだったはずです。
名刺に「感謝」と大きく入れ、誰にも感謝しようと、いつも言っている知人がいました。それを私の取引先の社長が見たときに、「感謝するんじゃなくて感謝されなきゃいかん」と言いました。
いつも誰かから、もらうのではなく、与えるような人生にしていくように考えましょう。
◯非日常を日常としない
人生の中でとことん落ち込んだときは、癒しを求めるのはよいと思います。しかし、それは、非日常的なときであり、特殊事情に限ります。日常がそうしたものとなれば、永遠に報われないようにも思います。
なのに、なぜそれで耐えきれるのかというと、日常の状況を発信するだけで、SNSなどで安易に「いいね」で承認されるようになったことも大きいのではないでしょうか。
耐えるというのも、絶望の底ではそうあって欲しいのですが、日常でしたら、今のままで良くないと思い、変わるために具体的に努力をしなければいけないことが多いと思うのです。
10歳前後の子供たちでさえ、あれだけ勉強したり頑張っているのですから、大人になって、彼らほどの努力もしないのは、よいことではありません。自戒をこめて。
大人だからこそ、思うように成長でき、人生を謳歌できるわけです。
◯整える習慣
「自分の気持ちに素直に行動しましょう」というような人ばかりの中にいると、どんどん鈍くなっていきます。そして、何もしていない今の自分の自己肯定をしてくれるような言葉ばかりを見るようになります。
「整える習慣」と言う本が売れていると聞きました。医者をしながらテレビにも出て本も書きまくっている著者です。そこまで多忙なら、整えないと活動も維持できないでしょうから、整わないほどエネルギッシュに頑張っている人が、整えようとするのは当然です。
しかし、大して動いてないような人が、何をどう整えると言うのでしょう。そうした本の実践アドバイスに従っていたら、うまくいくのでしょうか。本当の問題を直視せず、後に長引かせるだけでしょう。
それで世界が広がっていくと思うのなら、大きな勘違いをしているだけです。
そういうアドバイスをしてくれる人に搾取されている、そうした構造の中に取り込まれていることさえ気づかなくなるのです。
その先生もきちんと言っています。前書きのところに
ー「持っている力を発揮するために状態を整える」と言うコンディショニングをきちんとやらないと、真の力を発揮することができません。ー
持っている力、つまり、力を持っていなければいけないのです。彼の言葉で言うと、ストレングス、コンディショニング、ケアのなかのストレングスで身につけた力です。
ストレングスがないところにコンディショニングを学んだところで何の効果もない、とまでは言いません。少しは楽になるかもしれません。しかし、効果がないからコンディショニングを学んだところで大したことにはなりません。
私が思うに、昔は相当な力を持っていても、自らの力のなさを自覚したし、何よりも自覚させられました。今は、力がなくても、まわりが否定しないし、SNSなどでも承認してくれるので、そのことに気づきません。
力があるかないかは、相対的なものです。しかし、仕事であれば、結果が出ないなら、力がないのです。
持っている力が100%出たところで、大したことができないのであれば、それはコンディショニングではなく、ストレングスの問題なのです。本質をきちっと把握することです。