〇自分で教育する価値
生まれてから私たちは、いろんな条件の違いがあるなかで、人生を歩んでいきます。それを大きく変えるものとして、教育があります。学校教育は、その1つの手段です。教育によって、格差がつくられていくともいえます。
教育格差というと、家庭の貧富の差のように思われていますが、本当は、教育を受ける環境としての差そのものではありません。
教育とは、両親や学校教育や塾、家庭教師などから授かるものだけではないからです。家庭や学校で教育に恵まれなかったといって、その人がだめになるわけではありません。
むしろ、そうした教育には恵まれずとも、素晴らしく社会に貢献をするような人間になった人もいます。それこそが、自分が自分に課した教育の力なのです。
お金持ちの子だから東大に入りやすかったといっても、東大生が立派な人になるわけではありません。親の財力やコネクションだけで得たような能力に、どんな値打ちがあるのでしょう。本人は、そこにどのぐらいの自信が持てるというのでしょう。
競争の厳しかった団塊の世代なら、ともかく、私たちの間では、他に取り柄がないから東大に行く人もいたのです。前世代の価値観に拘束され、そうした肩書きが重荷になって動きにくかった人も少なくありません。
もとい、裸一貫から上り詰めたような人たちにこそ、人は感心し尊敬して、心を寄せられるのではないでしょうか。ハングリーなところから叩き上げてきた人の話にこそ、人が聞き入るのです。そういう人は自分自身を自ら教育してきたからです。
〇ネットの価値は、人
教育格差を、単にお金の違いなどにしてはなりません。
教育を受ける権利や機会均等というのは、全く別の問題です。
なによりも、このネット社会では、自ら学びたいというものは無限に無料で学べるのです。
もはや家庭環境や塾や習い事や進学校のおかげで得られるものなど、大したものではないのです。
単なる知識などは、それだけでは価値を持ちません。
ネットでは決して学べないものを見つけていくのが、とても意味のあることです。そういったものを学ぶのに、ネットは使えます。
自分に必要なこと、自分に必要な人を探すのに、ネットは、もっとも価値があるのです。