◯正義か幸福か
10日NHKで再放送の『スパイの妻』観ました。
昨年のNHK制作テレビドラマで劇場用映画としても公開。黒沢清監督、第77回ヴェネツィア国際映画祭でコンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞。
太平洋戦争開戦前、聡子は、神戸で貿易会社を営む夫の優作と豪邸で幸せに暮らしていましたが、満洲で夫が得たペスト菌の機密を知った聡子は、愛する夫と運命を共にする決意を固めていきます。夫婦は、ナショナリストでなくコスモポリタンとして生きる主義を貫きます。つまり、人道、正義、世界平和、愛で、自らの運命、関心、行動に結びつけます。もしかすると、こういう行動は、今の時代において、なお難しいことではないかと思います。
ここまでは、ブログでよく述べているテーマ、世界と国か、グローバルとローカルです。
脚本としては当時ならありえないことばかりなのですが、現代において、それを踏まえない人がみるとリスキーになる恐れのある作品と言えるかもしれません。
関東軍の犯罪行為を国際的に告発し、アメリカを参戦させて日本を敗戦に導こうという決意は、今になって組み立てられるストーリーでしかなく、その行動は、まさに非国民、裏切りもの、スパイ、国家反逆罪です。自虐史観とまでは言いませんが、いくら軍のこととはいえ、日本の国を悪、当時を狂った時代と見切った上でしか成立しにくいからです。
それゆえ、国際受けはするでしょう。ナチスを糾弾するドイツの立場と同じだからです。
大義のために、親しい人や同じ国の民から犠牲にする、そうした決断は、まともな人間としてはできないことでしょう。敗戦を望むこと、主人公たちは予期しなかったとしても、大空襲や原爆での日本人の犠牲は、平和のため、明日の日本のためだ、のようなロジックになるのです。それでは大本営や当時のアメリカと変わらないではないでしょうか。大雑把ですいません。
日本人の終戦万歳体験、敗戦でよくなったという、歴史上、奇跡的なほど稀に得られた体験を歴史から学んだ、というなら危険なことでさえあります。戦争は敗者だけでなく勝者にも悲劇であるというのが、ようやく国際的に合意されつつありますが、敗者は常に悲劇どころか地獄だったからこそ、攻められたら戦わざるをを得なかったことがほとんどなのです。
なんか当たり前すぎて、論じる気にもならないんですが、それは日本では当たり前ではなくなったのでしょうかね。やはり大雑把ですいません。
まあ、蒼井優さんの演技力を舞台っぽくみられた次第です。