fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「闘うということ『最前線物語』」 2011/08/13

「闘うということ『最前線物語』」                                        

ぼくはこの歳まで銃をもったことはない。人を撃ったこともない。まして殺したこともない。それだけはずいぶん昔からそれだけは今の日本に感謝してきたことの一つだ。

最前線物語』では第一次大戦と第二次大戦で、同じ十字架のキリストの記念碑の前に立つ主人公、停戦後数時間後にそれを知らずにドイツ兵を一人殺して20年、罪の意識で生きて、また同じ場に戻り立つ。
広島と長崎で二度被爆をした人もいた。運命はいろんなめぐりあわせをつくる。
あたかも悲劇こそが人生の醍醐味をもたらすかのような神の愚かな配慮なのだろうか。

部下のクリフは、敵兵と目が合うと殺せなくなるが、最後のドイツの収容所解放で…。

戦場では殺した相手の耳や頭皮をはぐことがあった。日本ではかつて首を切りとったが、世界の狩猟民族からみたら、日本人はまだ体にやさしい。動物との対し方の違い、ロボットや車さえも愛する日本人である。

さて、歴史上の男で人を殺したことのない人は、そうでない人よりも多いのか少ないのか、というのは愚かな問いだが、戦争は人を殺す。殺される人も殺す人も、体や心に傷を負う人も傷を負わせた人も、愛するものを奪われた人も、誰もが「なぜ私が…」と運命を呪うことになる。その点では災害と同じだ。
今の日本のデモは公に許可を得て警官が守ってくれて、交通事故もなければ、車も店も壊されない。イギリスでは若者がデモでテロに近い大暴動を起こしている。今の私は警官でも、自衛隊でも、その人やその人の家族を感じ、石さえ投げられないだろう。

若者は、いつの世も腐り切った保守を革新するために無茶をするもので、その愚かさが若いということなのだ。いくら人殺しや暴力を否定しても、民主主義のための革命の多くは、為政者を血祭りにして、なしとげられてきた。
チャウシェスクの処刑の半年後に僕はブカレストにいた。殺された市民への灯、銃弾や砲弾のあと、におい。僕より年下の大学生たちが、軍と向かって生命を賭けて戦った。

こんなことを述べるのは、先に述べた竹島で領土のこと。真剣に考えると武力衝突を万一にも考えなければいけない。考えたくないから、政治家も国民も思考をストップする。アメリカの地図には、すでに韓国領となっているらしい。日本人はロビー活動もしない。韓国は徴兵もあれば、国際的な常識にそった行動をする。中国に対しても強硬だ。
日本はできない。敗戦国のまま、66年もきてしまった。
終戦時15歳までの81歳以上の人は、わかっていることがそれ以降の人には、わかっていない、わかろうとしない。わかろうとする人を一方的に戦争に導くと、排斥してきた結果だ。国の魂を抜かれたまま、育った人が、60代となって、日本を動かしている結果が、こうである。
それでもスポーツなどの活躍もあり、私の育った頃からみると、かなり、まっとうに右へ傾いてきたのか。いや違うようだ。

京都五山送り火で、陸前高田の薪が、セシウム検出で使えなくなったという。放射能を軽視するわけではないが、この過剰反応は、京都生まれとして、情けない。少なくとも福島から出ていった子供たちが差別されることなどないように願う。

お勧め「フリーダム・ライダーズ」リチャード・ラクラヴェネーズの前半まで。

PS.領土問題について今の私の理解
北方領土問題
1855年に日露国境を択捉海峡と定めた日露通好条約、1875年には樺太をロシア領に、千島を日本領にした樺太千島交換条約、1905年には日本が南樺太を獲得したポーツマス条約がある。
第二次大戦の終わりまでは、千島列島のうちの国後・択捉は日本のものと認識。
1945年のポツダム宣言第八項には、『日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし』
1951年のサンフランシスコ講和条約、第二条第二項に『日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する』 アメリカは、51年の講和条約では「日本は国後・択捉を放棄せよ」としておきながら、56年になると領土問題を日ソ関係の懸念材料として残すため「国後・択捉を放棄するな」という立場に変じた。ちなみに鈴木宗男さんは二島返還論でした。

尖閣諸島問題
1885年、日本の調査時は無人島で、清朝支配下にないことを確認した後に、日本の領土にくみこむ。ただ1556年、尖閣は中国の地図に記載されているらしい。日本も中国も自分の領土である主張している係争地、アメリカは、この島の領有権に対しては中立。 サンフランシスコ講和条約によって、尖閣アメリカの施政下にあった沖縄の一部とみなされた。日本は沖縄として返還を受けたとするが、1992年頃から中国が国の領土だと言いだす。
安保条約の五条で、アメリカは「日本国の施政の下にある領域」を「自国の憲法上の規定および手続きに従って」守るとあるが、北方領土竹島は入らない。尖閣諸島だけは、日本が実効支配しているから当てはまる。
さらに2005年の2プラス2(日米安全保障協議委員会)で、「島嶼防衛は日本の責任」となっている。尖閣を中国に攻められ支配されたら日本の「施政下」ではなくなり、安保の対象ではなくなる。