板橋区選出の木下富美子都議がようやく出てきて、辞職しないというので、四面楚歌、猛烈なバッシングを受けています。当初から、議員の報酬やボーナスの額ばかりが取り上げられ、税金返せの大合唱でした。これまでの公費は寄付するそうです。真子さまも世論を読んでか一時金を辞退されましたが、、。
日本人はいつから、こんなに卑しくなったのかと思います。
確かに財政危機ですし議員報酬は高額です。かつては、民間の方が高く、公職は低く、公僕でした、でも議員は別として、一生安泰なのが公務員、勤め上げたら年金で元が取れる、のほうがまだよかったのでしょう。民間の所得の方が下がっていったせいですね。
私は、偏屈なので、大体、ぼろ負けしている選手やチームを応援したいタチですが、彼女の立場になってみると、都議を続けたいなら、どうしてこんな最悪の行動をとってしまったのでしょうか。事故を起こしたことより、その後の処理があまりにも、、処理をしないのですから。昔のように、75日たてば禊になると思ったのでしょうか。こうした行動において、議員どころか、仕事を任せられない、と証明してしまった。のに、やりたいという、そのモチベーションがわからないのです。
それなら、議員として、私はこうしたい、このようにできる、を改めて強く示さなければ、報酬目当てという理由になされてしまうだけです。もちろん、この日本では禊が済まないと、政策などを口にしたところで相手にしてもらえないでしょう。しかしそれでも、議員魂があれば活動したいなら、私はこのタフな神経に対して何らかの接点をつけることはできると思いたいのです。マスコミも議長も、まずはそういうことを聞き出すことはできないものでしょうか。
確かに都議は、日本の将来のビジョンで動いてるわけでもないと思います。それでも都民のことを考える仕事です。党が除名するときにも、なぜ公認したのか、誰でもよかった程度のものだったのか、改めて、思うのです。
、、今回は、全然、問いになってないなあ、、。
民主主義の病理極まれり、ナイフ、刃物、火器類を持って、人に迷惑をかけないように。
戦後の日本の近代化は、アメリカ化でした。アメリカのような生活水準の上昇こそが進歩でした。物量で戦争に負けたという思いから、モノの生産、普及、充足にひたすら走ったのです。その象徴が、松下電器でした。水のように、モノが満ちたりたら幸せになるという幸之助の水道哲学です。幸之助とは、幸せの助けなんですね。
モノが普及し、次には、心の満足だと、メディアのメッセージが浸透していきます。時空の制限から解放された生活を目指して、大衆消費社会となったのです。そのピークがバブルでした。民意とは、世論のことですが、今はマスメディアが形成しています。私たちは国家意識も日本人意識も失いつつ、その結果、他人任せになって、金勘定に振り回されて、知性的でなくなっていったのです。富美子は、富んで美しい子。