fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

切りつけ事件とNHK報道 構造主義

自分が正しいと思っていることも、自分の側だけの視点で、違う立場、相手の立場からものをみていない、そのことを明らかにした思想が、構造主義でした。時代は変わっていくとともに、受け止め方も変わります。私たちは、コロンブスの新大陸発見と習いましたが、今は「発見」は使われていないのです。

 

取り上げるのは、5日NHKの朝のニュースです。

『大勢の人が利用する電車内で相次いで起きている切りつけ事件。(中略)

逮捕された30代の容疑者は「幸せそうな人を見ると殺したくなった」などと供述し、「自分も被害に遭っていたかもしれない」と、電車に乗るのが怖くなったという人も多くいます。
事件のあと、被害者と同年代の大学生などが再発防止を訴えて声を上げ始めましたが、こうした人に対してネット上で「お前が刺されればよかったのに」「売名行為だろう」などといった書き込みが相次いでいます。(中略)  

書き込みをした男性「書いてある内容に違和感があってやっただけのことです。私は、事件について言うべきことがあれば犯人に言うべきであって、事件への抗議は一般大衆に向けて言うべきことではないと思ったので。こうした活動をやっている人たちは、ちょっと的がずれているのではないかなと思いましたね」

「そんな抗議なんかされたって我々なんてどうすることもできないだろうし、『女性だから被害に遭った』とかそういう主張をされても、何を言っているのかなと。だったら犯人に言うべきことであって、デモなんかするのはお門違いだろうと」

男性は、事件について声を上げた女性たちの主張が自分の考えとは違ったので、批判的な内容を書き込んだだけだと話しました。(中略)

ある出来事についてそれぞれの考えで意見を述べることは自由だし、時には過激な表現になることもあると思います。ただ、個人に対して大人数が連鎖的に批判的な書き込みをすることは、知らず知らずのうちに相手を追い詰めることになっているのではないか、とも感じました。大量に批判を受ける側の負担感に比べると、書き込む側があまりにも気軽に行っているように思え、その落差がとても大きく感じます。

ネット上での中傷の問題に詳しい専門家は、攻撃的な書き込みをする心理について「ある種の正義感が間違った方向に出ている側面がある」と分析しています。』

 

(NHKの報道とこのニュースリリースがずれているので、私も混乱し、報道の方に合わせ、書き直しました。ニュースソースのずれは、困ります。)

ここからの私の「批判」は、書き込みした人やデモをする女性ではなく、NHKの、「あまりにも気楽に行っているように思える」お決まりのやり方にもっていこうと取り上げたように見えたからです。「声をあげただけなのに、、」のタイトルから、その狙いが気に触るのでが、、。

ー刺されればよかった、ー売名行為だろう、ーデモの手段をとるべきでない

この三つは、異なる類の書き込みでしょう。

小田急線の事件は、勝ち組っぽい女性にみえたから狙ったと、20歳の女子大生が被害。それをきっかけとした女性に対する暴力の再発防止のデモ、への書き込みです。事件そのものへの抗議と、NHKは報道しましたが、ここは大きな違いです。

この三番目のような見解そのままに書き込んだなら誹謗中傷とも言えないでしょう。彼らは、この事件への抗議デモと受け止めたのでしょう。考えと書き込み文のギャップを追求するなら、それも一つの切り口です。あるいは、デモの目的への誤解なら受け答えたらよいのです。

この事件から街を通りゆく人にデモで訴えると、不快な思いを抱く人も出るでしょう。こうした事件では、高齢の人でも学童たちでも犠牲者になる確率も大きいのですから。そのあとの京王線の事件の被害者は、72歳の高齢男性や中学生らでした。

NHKは、書き込んだ人のうち、明らかな中傷者には取材ができず、こういう取材に応じられる人の考えを報道しました。否定するような書き込みの裏にも理の通ったものや意見もあります。確かにひどい中傷がとても多かったとはいえ、こういったものも含めて、批判が連鎖的に書き込まれると人を傷つけてしまうからやめろ、というような方向にもっていくのは、どうなのでしょう。

主張すべきことは、批判的な内容がいけないのではなく、批判に一切なっていない内容、誹謗中傷したいがための誹謗中傷を書き込むな、匿名で個人攻撃したり、プライバシーを暴くようなことは、やめろ、でしょう。

ここは一方的に中傷されたプロレスラーの木村花さんの場合と全く違います。女性とか弱者には、批判的、否定的な意見を書き込むな、のように導くのはおかしい。

誰かに起きた個人的な出来事を、構造的な社会問題だと捉えるかどうか、自分に関わることと思えるか、自分が関わるべきことと思えるか、また、女性に関する問題か、どの範囲の問題で捉えるかは、難しいことです。いろいろな意見もあって当然でしょう。

行動し人前で意見を言うことに対し、よいリスポンスだけがくることはないのです。意見する権利があるということは、そう思わない相手が批判する権利もあるということです。

こうした問題について、一個人の問題に矮小化されてしまうことはよくない、社会的構造の歪みに目を向けよ、せめて女性の言うことをきちんと聞いてから自分の意見をきちんと発言せよ、などと取り上げるなら、まだよかったでしょう。

そのぐらいのことを番組の中に入れて、デモをした人も書き込みをした人も学べるようにすればよかったのに。これでは、批判的な書き込みをする人は、それがたくさんになっていると人を傷つけるからやめなさいですね。木村花さんのときにあれほど取り上げて、またこうなっているのは、なぜでしょう。マスコミなのに、意見表明の自由を規制してるように思えてなりません。まあ、批判の解釈のちがいかあ。