fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

小室圭さんと天皇と人権と憲法問題とアンジェリーナ・ジョリー

アンジェリーナ・ジョリーが新著『Know Your Rights and Claim Them』をアムネスティ・インターナショナルと人権弁護士とのパートナーシップで執筆しました。

「人権を求める闘いの最前線にいる世界中の若者たちから私はとても刺激を受けています。環境保護から不平等や差別の闘いまで、彼らは大人がすべき活動に参加していますが、今までのところうまくいっていません。世界の難民キャンプや紛争地域では、誤った決断の結果による負担を子どもたちが背負わされています」

「子どもたちや若者が仲介者やパワー、知識を持って率直に発言できれば、若者と大人の両方の生活を変えることができ、より平等な社会を築くことに役立ちます。それが、世界中の若き活動家と相談し、自分たちの権利のために闘う彼らに向けて書かれた新刊『Know Your Rights and Claim Them』のメッセージです」


さて、小室圭さん問題には、これまで小椋佳でもないので(失笑)、言及するつもりもなかったのですが、ちょっとまとめておこうかと思います。

皇室のことに日本人がここまで微妙に敏感になったのは、跡継ぎ問題からだと思うのですが、男系男子継承、女系天皇女性天皇などの問題は、ここでは触れません。

日本の国体、文化伝統の問題とグローバルな人権の問題、それを超越した天皇制の問題について語るのは難しいです。アメリカ軍が牛耳っている日本での、憲法の改革問題とも似ています。欧米のように理詰めで解決しえないものが、この国には、少なくとも2つあるわけです。

 

理詰めで考えたい人は曖昧さを除き、はっきりさせるのが、第一といいます。でも世の中には、はっきりさせてしまうと、まずくなることはいくらでもあるわけです。急いだために戦争になることも多いのです。理詰めがぶつかるのですから、どちらも引けなくなるのです。

遺跡の発掘調査での、こういう話を思い出しました。今の自分たちには、充分に発掘し保存し研究する力がないから、このまま埋めておき、後世の人に委ねる。私はこれも、人類全体を考えた知恵だと思うのです。

そう思いながら、アメリカの属国を脱する努力は、75年、結果として放棄してきたわけです。曖昧のままに、は、後世に問題を残します。しかし、少なくとも戦後の前半に関しては、東西冷戦に絡め、この憲法をうまく利用してきたともいえます。問題はその後、甘えっぱなしで、平和ボケして無能な忖度国になってしまったことです。遅くとも平成には解決しておかなければいけない2つの問題だったのです。

 

それはさておき、皇室のことを「ほっといてあげましょう」と言いつつ、毎度、言及して飯を食うマスメディアやコメンテーターみたいにはなりたくないのですが。

眞子さまPTSDと発表されるやいなや、世間の風向きが変わる、宮内庁の政治的な手法で、急に「パッシングするな」などと言う人は、素直で優しく、簡単に、マインドコントロールされそうで怖い人たちです。

世間では、小室圭さんが、皇族に近づいたり、まして内親王と結婚するのが気に入らなかったのでしょう。親王や万一、天皇になるなんてごめんだと。心配しなくとも彼はアメリカにいきます。また異質で有能な人材を、、。

 

小室さんは、日本を離れて、2200万円の年収で法律事務所に就職するとか。それまで、国立音楽大学附属小学校に進学するほどバイオリンやピアノに優れ、インターナショナルスクールに通い、国際基徳督教大学から三菱東京UFJ銀行就職するも2年でやめ、一橋大学の大学院で経営法務、全米ロースクールランキングで24位のフォーダム大学に留学します。幼い頃に父や祖父母が自殺し母子家庭で育ったのを、努力と根性と、そして愛情で、人生を開き、逆境に負けず勝ち得ていった人です。母親の4百万円の借金問題での対処では、常人離れしたところもありましたが、この経歴からも普通の人ではないのです。眞子さまの皇室離脱の一時金を辞退するのも、皇族をどう考えるかで、そこだけで論じられるものではありません。アメリカでの警備に使って欲しいと思ったのですが。

 

ワイドショーは、いろんな事象にいろんな切り込み方を入れて主観的な作品に仕上げていきますが、私たちはそこでみるのでなく、そのもとになるところにある問題を、さらに深く深く掘り下げてみて思案しなくてはならないと思うのです。