自分探しなどでスピリチュアルな分野に関心を持つことは悪いことではないのですが、ハマるだけでなく変性意識にまで入ってしまう人もいます。霊媒体質で被暗示性が高い人に多いです。
NLPやシャーマニズム関係など、私のまわりにも、そういう人が多かった時期がありました。それ自体は悪いものではありません。それで人生が好転したと信じている人もいますし、それでよいと思うからです。ただ、自らが他人に働きかけるとなると、慎重を期さねばならないでしょう。
ややもすると、迷信や差別に結びついていることもあります。たとえば、輪廻転生と守護霊とは、矛盾するものではないでしょうか。
見極めとして、外に言っていることと内で行っていることをよく比べてみるとよいでしょう。不一致のことがほとんどなら、安易に信用しないほうがよいでしょう。
本当のところ、なりたい自分を強く求めるほど、本質から遠ざかるものです。
もう一つ、私は、そこの第一人者でなく、ナンバー2、3の人や、幹部などを見ます。長年いる人や年配の人がいるのか、何年いるのか、そして、その人たちがどんな人か。真面目なだけでなく、ユーモアに富んで、世の中のことをよく学んでいて、自由に発言したり、トップへの批判などを気軽にしているのかなどです。解釈をそれぞれが主体的に行っているなら、よい組織でしょう。これは、会社やコミュニティなどにも通じることでしょう。
絶対的なカリスマ教祖には惹かれることは誰しもあるでしょう。それをダメとは言いませんが、一時でなく長期に見ていくことです。イエスマンしか周りにおかない、あるいは残らないような組織は、発展が期待できません。私たちは未来に生きるのです。
まわりにどのような人がいるのかが、自分もまわりにいたいと思うなら、見極めるポイントです。暗く後ろめたそうな雰囲気があるのは言うまでもなく、ただ、演出されたように明るく前向きすぎ、エネルギー全開なのも怪しいのです。
そういうところには直感が鈍っているときに、近づいてしまうものです。それが、よくないのです。外に開かれていて、空気の流れのよいことが、望まれます。