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OB戦 巨人ー阪神 /ホームランダービー/門田博光選手の死

 <マイナビオールスターゲーム2024の日産EV NO.1ホームランダービーは、決勝で近藤健介(福岡ソフトバンク)が、山川穂高福岡ソフトバンク)を13本対12本で下し、優勝を飾りました。NPB>
アメリカのホームランダービーにつられて、日本のもみるようになりました。

なかなか興味深いです。

同じルールでは、行わないのですね。

日本は、2分、1分の勝負、

 

<7月 10日 -- MLBオールスター戦の前座イベント「ホームランダービー」は、テオスカー・ヘルナンデス(ドジャース)が決勝で ボビー・ウィト(ブルージェイズ)を 14-13で下して初優勝した。 ドジャース選手の優勝は史上初めてとなった。

各選手が 3分またわ 40球で本塁打数を競う。45秒のタイムアウトが与えられる。 終了後に 3アウト・ボーナスが行われ、3アウトになるまで打ち続けることが出来る。 ボーナスで 425フィート(129.5メートル)を越える本塁打を放つと 1アウトが追加される。 1回戦は全選手が競技を行い、成績上位 4人がトーナメントに進む。>

 

 

さて、巨人ー阪神のOB戦が、行われました。

下記、メンバー表のどちらに親しいかで、世代がわかります。

私は、江夏選手が、車イスで酸素ボンベをつけて、現れたのが、印象的でした。

若い人にひと言、加えると、かつての巨人ー阪神戦というのは、別格扱いだったのです。

王監督も元気そうでした。華やかなスターたち、それに名をつられない選手もたくさんいます。別の番組で特集された門田博光選手を思い出しました。

 

生涯100年時代となり、スポーツでは、かつては、30歳くらいで引退、今でも女子選手なら、20代前半で、というのが多いようです。

先の宮田選手は、19歳で最年長、キャプテンでした。

若いから、次に、などと言えないのです。

 

 反面、40代以上で、オリンピックに出ている、日本代表選手もいます。

競技の違いもあれば、選手層の厚さ、優秀な若手がいるのかにもよりましょう。

三浦知良選手のように、監督より年上でも現役にこだわる人もいます。57歳。

シニアの大会も増えていますね。

 

 

#門田博光

<ある野球人の死 “不惑”の大砲 門田博光 初回放送日:2024年6月15日

去年、兵庫県の山奥で小柄な男性が亡くなっていた。プロ野球で歴代3位のホームランを打った門田博光だった。戦後まもなく生まれ、大阪万博の年に南海に入団。低迷するチームで1人豪快なホームランを放った。アキレス腱断裂から復帰、40歳でホームラン王に。栄光の道を歩んだ門田が、なぜひとりで逝ったのか。王、野村との秘話も紐解きながら、同僚やライバル、記者たちの証言から門田博光と彼が生きた日本を浮かび上がらせる。>

 

 

<巨人と阪神のOB戦「伝統の一戦レジェンズOB対決」(5イニング制)が15日に東京ドームで行われ、巨人OBが3-2で競り勝った。スタンドでは3万5000人の観客。今後、他球団を含めてOB戦の需要が高まり、さらに盛り上がるかもしれない。>

<◇巨人球団創設90周年記念 「伝統の一戦レジェンズOB対決~」

 先発投手は上原浩治さんと井川慶さん。巨人の1、2番は仁志敏久さんと清水隆行さん。阪神鳥谷敬さんと西岡剛さん。4番は原辰徳さんと掛布雅之さん、指名打者は巨人がラミレスさんに阪神真弓明信さん。

 試合でプレーするスタメンとは別にレジェンドスタメンも発表されました。

巨人OBとして、井納翔一さんが登場。〝剛速球〟が話題に。

 3-1の5回1死、西岡剛さんへカウント1-2から投げたストレートは、142キロ。西岡さんがとらえライト前のタイムリーヒット。その後、今成亮太さんを135キロストレートでレフトフライに打ち取る。>

 

<「まるで演出したようなゲーム展開になったね。ベンチの中も熱かった」巨人OBチームの監督を務めた中畑清氏。試合中、出場選手の現役時代の映像がビジョンに何度も映し出され、両チームの応援団による「闘魂こめて」「六甲おろし」の合唱もあった。

 中畑氏が「代打、俺」をコールし打席に向かうと、東京ドーム内にロックバンド「リンドバーグ」の懐かしい曲が流れ、スタンドから歓声が沸き上がる。阪神の伝説的守護神・藤川球児氏の登場曲である。1989年限りで現役を引退した中畑氏と、1999年にプロ入りした藤川氏の時空を超えた対決。中畑氏が真ん中付近の球をとらえ、三遊間を破るヒットを放った。

「私はやはり天才だなと思いました。あそこで打てる選手はいない」

「本当は球児が打たせてくれた。万時、球児!(万事休すの駄洒落?)」と中畑氏。

江川卓氏は「われわれOBとしては、1万人くらい残っていただけたら本当にすごいことだと思っていましたが、3万5000人もいらっしゃった。私はOBの中では中間の年齢で、多少なりとも先輩と後輩をつなげる役割を果たせたのであれば、よかったと思います」

 

日刊スポーツ編纂>


#ホームランダービー

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