◯松本ロスから、日本の芸人
茂木健一郎さんの#松本ロスからのツィートですが、
エンターテイメントとしての大企業か、カウンターカルチャーとしての大衆芸かというと、
吉本興業は、もはやディズニーであり、その期待に添えないし、
そこに所属している時点で、制限が大きいのでしょう。
芸人がCMをとれば、その企業批判ができないのと同じです。
日本では、マスコミさえ、政府や大企業と結託するのです。
この国では、健全な民主主義が国民に根付かないまま、
それでも天才的な独裁者も出さずに、
いや、それゆえに、賢明な人材は、政界から消えゆき、
国が保たれてきて、
この三十年、かつてない危機を迎えているのです。
過去を守り、先に踏み出せない、それが若い人にまで染みついているのは、
大震災や戦災など比べ物にならない精神的危機ということです。
マニアックにクールなアート、
大衆性を持たず、やや特権的な、権力志向の、新興宗教にも似た匂いを放つものとして、
評価もし敬遠もしてきました。
皆さんほど接してきていないので批評するだけの材料も持ち合わせていないのですが、
今の吉本の方向に合致してからは、さらにみなくなりました。
笑われることはないが、力ずくで笑わせる手法、形が目立ってきたからです。
このあたり、他のベテラン芸人も歌手も芸が荒れるところでは似ているので、
ありきたりな末路にすぎませんが。
以下、茂木氏のツィートです。
<本来、コメディ文化が健在だったら、万博のつっこみどころ(工期の遅れや、地盤の問題、タイプAのパビリオンの減少、前回のドバイ万博との期間の短さ、チケットが売れていないことなど)をつっこんで、笑いとして昇華できていたのにと思う。それは、「ロースト」の文化だと思えば、必ずしも万博開催にとってマイナスにはならない。
よしもとのお笑いが、現状や権力に対するよいしょの太鼓持ち文化でしかないことは、きわめて大きな機会損失になっていると思う。健全な批評精神に基づくコメディの不在が、一方でステレオタイプで建設的ではない批判と結びついて、日本にとって不幸なことになっている。
批判がコメディと結びついて笑いで前向きのエネルギーになるという生理学が日本にはない。よしもと的なぬるま湯の、太鼓持ちの笑いの文化しか大阪にないことが、万博にとっても負の影響を与えていると私は分析する。松本人志さんがテレビに復帰しても、この欠点は補えない。茂木健一郎5/1 X>